ハートふるメッセージ

荒川区西日暮里の神経科・心療内科・精神療法・カウンセリング・薬物療法の倉岡クリニックがお送りする、心に響くメッセージブログです
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151.メリー・クリスマス
 

今年もクリスマスがやってきた。わが国では宗教的な儀式とは関係なくクリスマスをお祝いする人々があふれ、お正月と同じように国民の年中行事のひとつとなっている。

 

1225日はイエス・キリストの降誕日とされ、世界中のキリスト教圏の国々では、イエス・キリストの生誕を祝して様々な行事が行われる。

 

ただ新約聖書には、イエスの生誕に関する記述はあっても生誕日については記載がない。だから1225日はイエスの誕生日ではなく、後世の宗教指導者たちがイエスの降誕を祝うための祝日として定めたものである。

 

キリスト教では教会歴という暦を使う。教会歴の1日は日没から始まり、翌日の日没で終わるため、25日は24日の日没から25日の日没までということになり、24日の日没以降がクリスマス・イブということになる。だから24日の日中はクリスマス・イブとは言わない。

 

日本でもこの時期にキリスト教の教会に行くと、クリスチャンではなくても受け入れてくれて、ミサや礼拝に参加することができ、教会におけるクリスマスの特別な雰囲気を味わうことができる。

 

クリスマスの「クリス」は“Christ”すなわちキリストを指し「マス」は“Mass”すなわちミサ(礼拝の儀式)のことである。だからクリスマスは「キリストのミサ」ということになる。

 

わたしも中学生のとき、ミッションスクールに通っていた姉に連れられて、ルーテル教会のクリスマスの礼拝に参加したことがある。キャンドルサービスといってローソクに火を点し、賛美歌を歌いながら、牧師さまと一緒に、病気などで教会に来ることのできない信者の方のお宅を回ったものである。クリスマスらしい雰囲気がありとても感動したことを憶えている。

 

わたしはクリスチャンではないし、洗礼を受けたこともない。しかし、聖書にはずっと興味を持っていたし、いまでも関心を持っている。

聖書から様々な教訓を学びとることで、いままで疑問に思っていた事柄に対して、少しずつ答えを見出している気がする。

 

ご承知のように聖書には旧約聖書と新約聖書がある。旧約聖書はユダヤ教の経典でもあるが、新約聖書はイエス・キリストの言動を弟子たちが記した文書を集めたものであり、ユダヤ教では認められていない。

 

いまわたしたちが手にしている聖書が出来上がるまで、相当の年月がかかっており、聖書を編纂した先人たちは、数ある文書群の中から聖書としてふさわしいものを選び出し、長年にわたる推敲の結果、選定作業が行われ、現在のかたちになったものである。

 

新約聖書の冒頭にあるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書には、イエスの言動がカギ括弧付きでそのまま記載されている。そしてイエスの誕生については「マタイによる福音書」の第一章と第二章に詳しく述べられている。

 

最後にイエスの言動で興味があるところを二つ紹介したい。

 

一つは「マタイによる福音書」第二十一章(18節〜19節)で、「朝早く都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当たらなかった。そこでその木にむかって、『今から後いつまでも、おまえには実がならないように』と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。」という。

 

イエスはお腹がすいていて、空腹を満たしたかった。そのときいちじくの木が目に入って、その実を食べようとしたら一つも実がなっていなかった。するとそれが悔しかったイエスは腹たちまぎれに、いちじくに呪いをかけてしまったのである。これはイエスがきわめて人間的な感情をもっていた証拠である。

 

もう一つは「ヨハネによる福音書」第八章で、「…律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。

彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。…イエスは身を起こして彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のないものが、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

…これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。…イエスは言われた。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。…」

 

石を投げてはならないといえば、モーゼの律法に反してしまい、訴えられる口実となる。かといって石を投げろといえば、愛を唱えているイエスとしては弟子たちに批判されてしまう。そこで思いついたのが「罪のないものがまず石を投げなさい」といった言葉である。

 

世の中に罪を犯していない人などいないものであるから、そこをつけば誰も石を投げることはできないだろうとふんだのである。すばらしい戦略であると思う。

ハートふるメッセージ | 00:44 | - | -

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