事実かどうかは定かではないが、彼の実家の庭にあったというリンゴの木の枝を接木したものが小石川植物園に存在する。これは昭和39年イギリス国立物理学研究所長サザランド卿より日本学士院長柴田勇次博士に送られ、その後寄贈されたものだそうである。
ニュートンの業績はいろいろあるが、一番有名なものは、やはり万有引力の法則であろう。これは古典物理学の基礎をなすものであり、わたしたちが学校で習った物理学はこのニュートン物理学であった。
そして物体の運動に関するニュートンの第一法則で、慣性の法則と呼ばれるものがある。これは「外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止の状態を維持して、運動(等速直線運動)している物体は運動している状態を続ける。」というものである。
「飛び出すな。車は急に止まれない。」という交通標語があった。等速直線運動をしている車を止めるためにブレーキを踏んでもすぐには止まらないし、止まっている状態から発進させるためには、多大のエネルギー(燃料)を必要とするものである。
この慣性の法則は人のこころにも存在する。日常生活の中のいろいろな場面を思い起こしてみると、誰にでも思い当たることがあると思う。
例えばダイエットをしようと決心して、明日から始めようと思うが、明日になるとつい今までの習慣が新しい自分の決心に勝ってしまい、つい食べてしまう。そしてまた明日から始めようと再度決心する。でも今までの習慣はなかなか変えることができず、これを繰り返してしまう。誰でも経験があるだろう。
何事もいざ始めようとすると、こころに抵抗を感じて何となく不快な気持ちになる。次にしようとすることが何か巨大なものに思えてくる。自分にはムリなのではないか、自分には出来ないのではないか、そういう思いがやろうとする気持ちの足を引っ張る。
すると、急ぎのことでも重要なことでもなければ、ついつい先に延ばしてしまう。いつかはやらねばならないことでも、いまはやらないことでその場はホッとする。
こころの慣性の法則も外からの力を加えない限り、現状を維持しようとする力が働くということである。
車の場合はエンジンをかけてアクセルを踏めば動き出す。こころの習慣を変えるためのアクセルを踏むためには、いったいどうしたらいいのだろうか。
多くの人は、すぐに結果を求めようとする。何か魔法の杖のようなものを期待して、困難を一気に片付けようとする傾向がある。しかし、長年かけて作り上げてきた習慣という巨大な質量を持ったものは、そう簡単に動かせるものではない。
しかし時間をかければ、どんなに大きな習慣でも少しずつ動き始め、動き始めると最初ほどの力を使わずに変化していくものである。ただし、どんな場合にも力を加え続けるということである。決して力を抜かない、中断しないということである。継続は力なりという。
やせるためには、単純に考えて消費するカロリーより摂取するカロリーを少なくすることである。足りないカロリーを体内の脂肪を燃やすことによって補い、その結果体重が減ることになる。
ただ、脂肪を燃やすと同時に筋肉も利用されてしまうので、同時に筋トレなどの運動を行い筋肉の減量を押さえることが大切である。
子どもの頃や成長期には、遊びや運動などで消費するカロリーは多いものである。だから摂取するカロリーが多少多めでも、そのエネルギーが成長のために使われていたので太ってしまうことはなかった。
しかし、年齢とともに身体の成長がとまってくると、アスリートなどの身体を使うエネルギー消費量の多い人は別として、普通の人は若いときよりカロリーを消費しなくなる。
食生活の習慣は長い間かけて作られているので、すぐに食事量を減らすことはできない。当然のこととして従来の食生活の習慣を継続しているため、摂取カロリーが消費カロリーを上回ってしまい、過剰に摂取されたエネルギーは脂肪として体内に蓄積されてしまうのである。
レコーディングダイエットというのがあった。自分の食生活の習慣に気づかせて、意識してカロリー制限をしようという試みである。いままであまり意識することなく食べていた食事内容を客観的に見つめることで、カロリーオーバーを自覚することにより摂取カロリーを減らすという。
その他にも様々なダイエットが提唱されている。こころの習慣を変えるためのアクセルはたくさんあるので、自分に合ったダイエット法を試してみることである。しかしどのやり方もじっくりと時間をかけてやることである。すぐに結果を出そうとしないことである。
急激なダイエットは、身体に負荷がかかりすぎて体調を壊す。車を加速するとき、エンジンの回転数が上がるのを待てないで、アクセルを踏み込みすぎるとエンストするのと同じである。
]]>この遺伝子はほとんどの生物に存在する。もちろん人間にも存在し、うまく働かせると20~30%寿命が延びるという。本当なのだろうか。
アメリカ、ウィスコンシン大学のリチャード・ワインドルック博士らのグループは、平均寿命26歳のアカゲザル80匹を20年以上飼い続け、老化のメカニズムを研究し、老化を遅らせる遺伝子を特定し、そのスイッチをオンにする方法を発見した。
その方法とは極めてシンプルなものである。アカゲザルを2つのグループに分け、片方には欲しがるだけの餌を与え、もう片方には栄養のバランスを考えて、必要最小限の餌しか与えなかった。もちろん運動させたり他の条件は全く同じ環境で育てたのである。
人間で言えば80歳くらいに相当する2匹のサルを比べてみると、欲しがるだけ餌を与え続けたサルは年齢相応に老化していたのに対して、制限した餌だけしか与えなかったサルは、見た目も若く動作も機敏で、顔のしわもなく毛のつやもよく、とても同じ年齢のサルとは思えなかった。5歳から8歳くらい若々しく見えたのである。
2匹のサルの違いは餌の量にあった。餌に含まれる栄養素は全く同じで、摂取した餌の量だけが違っていたのである。つまり老化を遅らせる遺伝子のスイッチをオンにする方法は、摂取カロリーを制限することだったのだ。欲しがるだけ餌を与えたサルより30%少なく与えるだけで、老化を遅らせる遺伝子のスイッチがONになったのである。
この長寿遺伝子がONになると、身体の中でどのような変化が起こっているのであろうか。
歳をとると、細胞内のエネルギー工場であるミトコンドリアの機能も低下して、生体にとって有害な活性酸素を出すようになる。この活性酸素は体内のさまざまなものを酸化して、壊してしまう働きをする。
皮膚のしわやしみ、白髪もこの活性酸素が皮膚の細胞を壊すことが原因である。そして活性酸素が脳の神経細胞を壊すと、脳が萎縮して物忘れや認知症を引き起こしてしまう。
ところが、長寿遺伝子がONになると、ミトコンドリアの中で活性酸素を消す物質が盛んに作られるようになり、活性酸素が漏れ出さなくなる。これが皮膚や脳の神経細胞さらに全身の細胞で起こった結果、細胞が温存され、結果的に若さが保たれ、寿命が延びることになるというのだ。
カロリー制限が生物の寿命を延ばすことは以前より知られていたが、ワインドルック博士らのグループの研究成果は、アカゲザルでそれを証明しただけでなく、その遺伝子を特定したことにある。
それは分かったのだが、この長寿遺伝子をONのするために、カロリー制限を続けることができる人はどれくらいいるだろうか。長寿と健康が手に入るのならカロリー制限を続けることに吝かではないという人はそれで良いのだが、食べ物を制限することに抵抗がある人はどうしたらいいのだろう。カロリー制限しなくても長寿遺伝子のスイッチをONにできる方法はないのだろうか。
ハーバード大学のデービット・シンクレア博士とクリストフ・ウエストファール博士のグループは、長寿遺伝子のスイッチをONにする仕組みを研究して、長寿に結びつく物質を探し出した。それはレスベラトロールというポリフェノールの一種で、赤ワイン、ぶどうの皮、ピーナッツやリンゴの皮、たまねぎの皮などに含まれる。
このレスベラトロールは、カロリー制限をしたときと同じように、SIRT1という酵素を活性化させる。そしてこのSIRT1という酵素は、活性酸素や紫外線、さらには放射線などにより傷ついた遺伝子を修復する機能を持つという。
老化するということは、遺伝子が活性酸素や紫外線、放射線などにより傷つき、細胞分裂の際にその傷ついた遺伝子がそのまま複製されていくため、次第にもともと持っていた細胞の機能を果たせなくなり、細胞が壊れていくことによって起こるものである。
だから、カロリー制限やレスベラトロールなどを摂取することにより、傷ついた遺伝子を修復することによって、細胞が長く生きることになり、寿命が延びるということになるのだ。
いま世界中でレスベラトロール以外にも様々な物質が研究されており、今後の研究成果が期待されている。
]]>これを治療するにあたり、症状を改善するために一番効果的なのは、抗うつ剤を服用することなのだが、それ以外にもやらなくてはいけないことがある。それは生活環境の改善や、その人が持っている考え方を再検討することである。
一般的にうつ病になりやすい人の考え方には特徴があり、性格的には真面目で責任感が強く、几帳面で完璧主義者でがんばりやである。さらに人に頼まれるとなかなか嫌といえないところがあって、周りの人に気を使い、うまくいかないと、自分が悪いのではないかと思いつめてしまうところである。
このうつ病になりやすい人の性格の根底には、小さい頃からの自尊心の欠如があるように思われる。つまり自分はだめな人間である。だから常に努力をしていなければ、認めてもらえない。いやいくら努力をしても完璧ではない。だからさらに努力をして完璧を求める。
そして人に評価されるのを極端に恐れ、人から認めてもらえるようにひたすら努力する。そこには自尊の気持ちは全くといっていいほど見られず、いつもこころが満たされず、不全感と不安感が渦を巻いている。
周りの人から見ると、まじめな努力家であり、物事をきちんとこなし、責任感が強く信頼できる立派な人物であると高い評価をされるのであるが、当の本人のこころはぎりぎりのところまで張りつめていて、いつ緊張の糸が切れてもおかしくない状況にある。
この状況が続くと、心のエネルギーが枯渇してしまい、思考力は低下し意欲もなくなって、物事が進まなくなってしまう。ちょうど燃料の切れた車のように止まってしまうのである。
こういった考え方の人が、いったいどうやったらやる気が出るのだろうか。うつ病になりやすい人の性格が悪いといっているのではない。むしろ社会人としては好ましい性格であり、組織の歯車としては立派に職責を果たし、安心して信頼できる存在なのである。
社会人としては立派ではあっても、そのひと個人の幸せや満足度を考えるといささか問題がある。社会に立派に貢献していながら、個人としては決して幸せでも満足しているわけでもないからである。
薬物療法はうつ病の症状は改善してくれるが、うつ病の原因を直接治してくれるわけではない。うつ病の直接の原因は今のところ分かっていないが、うつ病を誘発するきっかけや誘因となるものはいろいろと考えられる。
その中でもうつ病の治療にあたり重視しなければならないものは、前にも述べたように人間関係を含めた生活環境と、うつ病の人に多く見られる性格傾向である。
さらにこの二つは密接に関係があり、うつ病になりやすい性格の人は、うつ病を発症しやすい環境を好み、そこから抜け出せないような思考パターンをしてしまう。
うつ病の精神療法の一つに認知行動療法がある。認知とはその人が物事をどのように捉えているのか、つまり物事の捉え方のことである。この物事の捉え方は人により様々であるが、うつ病の人の物事の捉え方にはある特徴的な傾向が存在し、それを認知の歪みという。
歪みという表現はあまり適切とは思えないが、うつ病になりやすい人は、考え方の幅が狭いというか、思い込みが激しいというか、他の考え方を知識としては知っていても、それを認めることができないというところだろう。
これを改善するために、自分と対極にある考え方を書き出して、自分の考え方と比較してみることである。つまり自分の考え方を客観的に第三者の目で見てみると、どのように映るのだろうかと考えてみる。
どちらが正しい、どちらが間違っているという判断の仕方ではなく、二つの考え方を同等の価値観で捉え、もう一つの対極の考え方も取り入れてみることである。
多くの場合うつになりやすい人は否定的な考えを持ちやすい。例えば代表的な認知の歪みに「過度の一般化」というのがある。これはひとつうまくいかないことがあると、すべてがうまくいかないような気がするという考え方である。
世の中うまくいくこともあればうまくいかないこともある。このことは当然分かっている。しかし、うつ病になりやすい人にとって、それが自分の身に及ぶとなると状況は違ってくるのである。どうしても「過度の一般化」をしてしまう。
そのほかにも認知の歪みはたくさんあるが、認知行動療法はこの歪みに気がついてもらい、考え方の幅を広げ、気持ちを楽にすることによってストレスを減らし、うつ病の治療に確実な効果をもたらす治療法なのである。
]]>あるときロバを売りに行く親子が、ロバを引いて歩いていると、村の人が笑っていいました。「バカだなー、ロバに乗っていけばいいのに。」それを聞いたお父さんは、「それもそうだ。」と思い、あわてて息子をロバに乗せました。
しばらくするとお父さんの友だちがやってきて「子どもを乗せて自分が歩くなんて、甘やかしてはダメだよ。」と言われ、お父さんは「それもそうだ。」と思ってまたまたあわてて、子どもをおろし今度は自分が乗りました。
すると牛飼いのお姉さんに「自分は楽をして、小さい子どもを歩かせるなんてひどい父親だね。」と言われます。「なるほどそうだな。」と思ってお父さんはあわてて今度は二人でロバに乗りました。
ロバは二人も背中に乗せて、苦しそうによたよた歩いていました。ちょうど教会の前を通りかかると、牧師さんに「二人で乗るなんて、ひどい親子だ。ロバが弱っているじゃないか。」と言われ、もうどうしていいか分からなくなりました。
すると牧師さんは「ロバを担いでいきなさい。」といったので、ロバの足を棒にくくり、二人で担いでいきました。重くて大変でしたがもうすぐ市場に到着です。
ところが橋の上まできたところで、逆さにつるされたロバは苦しがって暴れ出し、棒が折れて川に落ち、流されていってしまいました。
大切なロバをなくしたお父さんは、「ああ、何ということだ。これというのも自分が人のいうことばかり聞いていたからだ。」と親子でしょんぼり家に帰っていきました。
この話の一般的な教訓は、「人の意見を聞くのはいいが、それをそのまま受け入れないで、もう一度自分でじっくり考えてから判断しないと、大切なものをなくしてしまうよ。」ということでしょう。
この話を聞いて考えさせられるところはたくさんあります。この物語に登場する人物は、お父さんと子ども、村の人々、お父さんの友達、牛飼いのお姉さん、それに牧師さんです。
あなたがこのお父さんの立場だったらどうしますか?
まず、お父さんはロバを売りに市場に行くことになっていました。ロバは商品ですから大切に取り扱わなくてはなりません。だからロバに乗るという行為は商品を傷める可能性があり、市場に着いて元気がなくなっていれば、値段も下がることになります。
お父さんにその認識があれば、村の人に「ロバに乗っていけば良いのに」と言われたとしても、「このロバは大切な商品ですから、乗らないで引いていきます。」と説明すればわかってもらえたでしょう。
それでも、長い道のり、疲れてしまうことはあるでしょう。そういうときにはまず子どもをロバに乗せることによって、子どもを休ませることができ、しかも子どもを乗せたときのロバの疲れ具合を見ることができます。
だからお父さんの友達から「子どもを甘やかしてはいけない」と言われたとしても、子どもを乗せて、ロバの体調をみているところですと答えればいいでしょう。
ロバの体調に変化がなければ、今度はお父さんが乗ってロバの様子を観察してみます。牛飼いのお姉さんに「自分は楽をして、小さい子どもを歩かせるなんてひどい父親だね。」と言われても、「このロバは頑丈で、大人のわたしが乗ってもびくともしません。今それを証明しています。」と答えればいいのです。
最後の牧師さんの提案はナンセンスです。ロバは健康であれば自分の足で歩くのが自然です。棒にくくりつけられ、さかさまにつるされたらパニックになってしまいます。自由になろうとして暴れるのは当然でしょう。
だから牧師さんの提案には、「そうですね。二人で乗るといくら頑丈な私のロバでも疲れてしまいます。もうすぐ市場につきますから二人とも下りてロバは引いていきます。」とでも答えればいいでしょう。
そうすると最初の思惑通りに、市場でロバを売ってお金を手に入れて、親子で幸せな家路につくことができたのではないでしょうか。
自分の考え方や行動に自信が持てないと、人は他人の不用意なアドバイスでも簡単にを受け入れてしまうようですね。
平成23年3月11日午後2時46分、午後の診療を始めるための準備をしていたとき、突然診察室が大きく揺れ始めた。受付にいた職員の悲鳴が聞こえ、部屋中でがたがたと物が音を立て、ドアの軋む音がして、診察室に置いてあった熱帯魚の水槽の水が大きく揺れてあふれ、机の上が水浸しになった。
「地震だ!」と思って待合室に行くと、すでに診察の順番を待ってソファーに数人の患者さんが居たのだが、みんな凍りついたように座ったままで、一言も言葉を口にすることができなかった。天井の照明は大きく揺れていたが、幸い物が落ちたりする様子もなかった。
待合室にも熱帯魚の水槽が置いてあり、これも大きく揺れて水がこぼれていたが、転倒しないようにと、揺れがおさまるまで支えるのが精一杯だった。
職員はすぐ入り口の扉と非常口の扉を開け、いつでも外に出られるようにして様子を見ていたが、揺れがいつまでもおさまらずゆっくりとした横揺れがかなり長い間続いた。
そしていったんおさまったかに見えたが、すぐにまたゆれ始め、おさまる気配がなく次第に恐怖感が大きくなって外を見ると、道を歩いていた人はしゃがみこみ、お店の人は外に出て辺りを見回し、電柱や電線も波打つように揺れていた。
それでもようやく揺れがおさまり、急いでテレビをつけて情報を得ようと見ているとどこのテレビ局も混乱していたのか、「今地震がありました。詳しいことは情報が入り次第お伝えします。」と決まり文句を云って、何が起こったのかわからないといった状態であった。
それからしばらくして、東北地方の太平洋沿岸、福島県、茨城県、千葉県にいたる広範な地域にわたる被害状況が報告され、三陸沖を震源とするマグニチュード9の、史上まれにみる巨大地震であったことがわかった。
その巨大地震によって引き起こされた巨大な津波。そしてその津波によって押し流された三陸から福島県地方の沿岸地域の損壊、さらに東京電力福島第一原子力発電所の損壊によって引き起こされた、広範囲にわたる放射能汚染。この三つの災いが同時に起こり、日本国中に戦慄が走った。
時間がたつにつれて被害状況が明確になってくると、これは現実なのか、悪い夢ではないのか、本当に現実に起こったことなのかと、しばらくの間とても信じられなかった。
まるでギリシャ神話の『パンドラの箱』を開けてしまったかのように、いろいろな災いが次から次へと報道され、しかもその災いはいまだ進行中であり、いつ終息するかもはっきりせず、とめどなく続いている現実がある。
小泉純一郎元総理の『人生にはいろいろな坂がある。上り坂もあれば下り坂もある。でも一番気をつけなければならないのは、まさかという坂である。』という言葉を思い出した。
まさに今回のことは、そのまさかという坂であろう。こんなことが起きるなんで誰も予想しなかったことであり、誰しもまさかと思ったことだろう。
この防潮堤を超える津波はないと思われて威容を誇っていた防潮堤が、あっさりと超えられてしまい、津波は町全体を押しつぶしながら、海岸線から十数キロメートル内陸まで、押し寄せてしまった。これもまさかであった。
そして、地震の規模を示すマグニチュードは当初8.8と云われていたが、9.0と上方修正された。これも観測史上4番目という想定外の大きさであった。このような強い地震が起こるとは誰も思ってもみなかったことだろう。これもまさかである。
それに、東京電力福島第一原子力発電所の損壊による放射能汚染である。これも東京電力や政府の、原子力発電所はクリーンで安全であるという従来からの見解に、とんでもないことだと強い不信の念を感じた。このような大きな地震や津波は想定されていなかったという。危機管理という面で今後もちゃんとした安全対策が望まれる。
そして事故の処理に数カ月から年単位の時間がかかるということが分かり、人々の間に慢性のストレス状態を引き起こしている。これも初めての経験であり、まさかである。
『パンドラの箱』からは、ありとあらゆる災いが人間世界に飛び出していったが、最後に「希望」が残っていた。わたしたちはこの希望をもって震災の復興に当たらなければならない。世界中の人々が応援してくれている。わたしたちも今できることを考え、思いついたことは実行して、少しでも早く復興しなければならない。
一人ひとりの力は微々たるものかもしれないが、たくさん集まると大きな力、大きな希望になっていくだろう。今だけでなくこれからもずっと、復興したとみんなが思えるまで、息の長い支援を続けなければならないと思う。
]]>カーネル・サンダースの「カーネル」は軍隊で大佐を意味するcolonelのことではなく、ケンタッキー州に対して貢献をした人に贈られる名誉称号のことである。彼は45歳のとき、ケンタッキー州知事から「カーネル」称号を贈られている。
彼は6歳のとき父親を亡くし、生計を立てるために母親が働きに出ると、幼い弟や妹の面倒を見なければならなくなり、そのためパンを焼いたり調理をすることに興味を持つようになる。そして彼は自分の作ったパンや料理が喜ばれることに喜びを感じるようになった。
家計を助けるために10歳で農場で働くことになり、学校にも行けず、小学校を出た後は独学で勉強しなければならなかった。15歳のとき母親の再婚相手とうまくいかず家を出ることになり、その後さまざまな職業を転々とすることになる。
40歳になり、ケンタッキー州コービンでガソリンスタンドを経営するようになったが、もともと料理が好きであった彼は、隣接する物置を改築して小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開店した。
ここで出される料理がおいしいという評判が広がり、次第に有名になっていく。特に11種のスパイスと圧力鍋を使って調理したフライドチキンは評判になり、来客が列をなしたという。
その後もさまざまな困難に遭遇するが、働き者の彼はめげることなく20年以上働き続けた。しかし、近くをハイウェイが通るようになってから、車の流れが変わり、客足が減って店を維持できなくなり、手放すことになってしまう。
60歳を過ぎたカーネルにとって、自慢のフライドチキンを食べてもらう店はなくなったが、秘伝のレシピがあれば、他の店でこれを作ってもらい、同じ味のフライドチキンをお客に食べてもらうことができる。
こう考えたカーネルは、秘伝のスパイスと圧力鍋を車に積んでレストランをまわり試食してもらって、メニューに入れてもらい、フライドチキンが売れるとロイヤリティをもらうというビジネスを思いついた。いまでいうフランチャイズ契約である。
すでに年金世代の年齢になっていたにもかかわらず、車で各地のレストランを回り、飛込みで営業をかけ、73歳の時には契約件数は600件を超え、90歳で亡くなったときには世界48ヶ国、6000店舗になっていたという。
カーネル・サンダース。決して恵まれていたとはいえない幼少期からいろんな職業を転々として65歳で起業し、わずか8年でケンタッキー・フライドチキンという大企業を創り上げた人物である。
彼の言葉はとても説得力がある。いくつか紹介しよう。
「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになることのほうがずっと多い。」
世の中には働きすぎてだめになる人も勿論いるが、それらの人々の数よりもっと多くの人が、休みすぎて体力や精神力がサビついてしまい、だめになっているのではないかというのである。
カーネルは小さい時から働き始め、特に人に喜んでもらうことを自分の喜びとした。彼は自分が経営するガソリンスタンドのサービスとして、車の窓ふきを始めた最初の人だという。
「人生は自分でつくるもの。遅いということはない。」
カーネルは65歳で起業して成功した人である。
だからこの言葉は説得力がある。
「いくつになっても、自分の人生をより価値のあるものにするために努力をするべきだ。何の問題も起こらない人生が、すばらしい人生であるわけはないのだから。」
自分はもう歳だからと、何もする前からあきらめてしまう人は多い。何かを始めれば、うまくいくときとうまくいかないときがある。うまくいったときはそれを楽しめばいい。うまくいかなかったら、どうしたらうまくいくのか考えてまたチャレンジしてみる。そしてこの繰り返しが人生なのであろう。
人生は問題だらけである。何の問題も起こらない人生などあり得ない。問題にチャレンジし続けることが、自分の人生をより価値のあるものにするのである。
「The easy way becomes harder and the hard way becomes easier」これは彼の口癖だったそうである。自分なりに訳して味わってほしい。
一年の計は初春の1月にあり(陰暦では1月2月3月は春)、一月の計は朔(陰暦のついたち)にあり、一日の計は鶏鳴(一番鶏が鳴く早朝)にありという。だから一年の計は元旦にあり、一月の計は一日(ついたち)にあり、一日の計は早朝にあるということになる。
何事にも遅れをとっていたら生き延びることができない、戦国武将の厳しさを現わした言葉である。しかしこれは戦国時代に限らず、いつの時代にも大切な心得である。
人は何かを始めるときどうしても躊躇することがある。うまくいかなかったらどうしよう、失敗したら立ち直れないかもしれない。でも今のままではどうにもならない。やるしかないのだが、最初の一歩がなかなか踏み出せない。あせればあせるほど身動きがとれなくなる。膠着した気持ちのまま時間だけがむなしく過ぎていく。
多くの人はこのような経験をしたことがあるのではないだろうか。いま実際にそういった状況にある人もいるかもしれない。わたしも学生の頃、試験前になるといつも一夜漬けであった。なんでもっと早く始めておかなかったのかといつも後悔ばかりしていた。
確かに早く始めた方が、行動するための時間的な余裕があり、迷った時も落ち着いて判断することができ、物事を成功に導く確率は高くなる。そんなことは言われなくても分かっていると言われそうだが、でもどうやったらそのような自分になれるのか。
ある健康に関する講演会で、食生活や日頃の運動がとても大切であると教わった聴衆の一人が、講演会が終わった直後、会場の通路にうつ伏せになり、いきなり腕立て伏せを始めたという。
講演会に参加した聴衆の多くは、講演内容に感動して、家に帰ったらすぐにも教わった事を実践しようとおもうだろう。でもその感動の気持ちは、家に近づくにつれて冷めてくる。
家に帰ると明日から始めようと思い、明日になるとふだんの雑用にかまけて、また先に延ばすようになり、それを繰り返して、結局何もしないまま講演会で学んだことは消えてしまうのである。
感動や記憶は時間とともに薄らいでいくものである。だから感動を受けて記憶したことは、その感動を色あせさせないためにも、その場で腕立て伏せを始めた人のように、その内容をすぐに実行にうつして記憶にとどめることである。
何かを始めるとき最初が肝心といわれても、その最初の一歩がなかなか始められないものである。その一歩が千里もあるのではないかとさえ思えてしまう。
話は変わるが、入社試験のときなどに、内田・クレペリン連続加算テストを受けたことがある人もいると思う。これを開発したエミール・クレペリンは、ドイツの有名な精神科医であり、早発性痴呆と躁うつ病の疾患単位を確立して、精神疾患の分類を行った、近代精神医学の草分け的存在である。
このテストのやり方についての説明は省くが、目的は注意力や作業への順応性、作業に対する疲労度などを調べて、被検者の性格特徴を探ろうとするものである。
テストの結果を分析していく中で見えてきたことは、同じ作業を繰り返しているのであるから、時間とともに疲労などにより、作業効率が下がってしまうのではないかと予想されたにも関わらず、作業後半の疲れが出ているときの方が、かえって作業効率が高くなっていることが多くの人で見出された。
これは被検者の性格特徴もさることながら、これとは別に、人にはそういった精神機能があるのではないかと推測され、これを作業興奮という言葉で表現した。脳科学が進歩してきた現代では、その中枢が脳の側坐核という部位であることが分かっている。
つまり何かを始めると、最初は戸惑いや不適応があるかもしれないが、繰り返しやっているとそのことに順応して、その作業をうまくこなせるようになるということである。
やる気が起きない時、とにかく何かを始めてしまえば、最初は順応出来なくても、やり続けていると、しだいにやる気が出てきて思いの外出来てしまい、気がついたときには終わっていたということもある。
「やってみなはれ」と松下幸之助さんはいう。やってみなければ出来るかどうかわからない。やり始めたらそのことに順応するまで止めないことである。順応出来ればさらに意欲が出てくるのである。楽しくなるのである。「継続は力なり」ともいう。
12月25日はイエス・キリストの降誕日とされ、世界中のキリスト教圏の国々では、イエス・キリストの生誕を祝して様々な行事が行われる。
ただ新約聖書には、イエスの生誕に関する記述はあっても生誕日については記載がない。だから12月25日はイエスの誕生日ではなく、後世の宗教指導者たちがイエスの降誕を祝うための祝日として定めたものである。
キリスト教では教会歴という暦を使う。教会歴の1日は日没から始まり、翌日の日没で終わるため、25日は24日の日没から25日の日没までということになり、24日の日没以降がクリスマス・イブということになる。だから24日の日中はクリスマス・イブとは言わない。
日本でもこの時期にキリスト教の教会に行くと、クリスチャンではなくても受け入れてくれて、ミサや礼拝に参加することができ、教会におけるクリスマスの特別な雰囲気を味わうことができる。
クリスマスの「クリス」は“Christ”すなわちキリストを指し「マス」は“Mass”すなわちミサ(礼拝の儀式)のことである。だからクリスマスは「キリストのミサ」ということになる。
わたしも中学生のとき、ミッションスクールに通っていた姉に連れられて、ルーテル教会のクリスマスの礼拝に参加したことがある。キャンドルサービスといってローソクに火を点し、賛美歌を歌いながら、牧師さまと一緒に、病気などで教会に来ることのできない信者の方のお宅を回ったものである。クリスマスらしい雰囲気がありとても感動したことを憶えている。
わたしはクリスチャンではないし、洗礼を受けたこともない。しかし、聖書にはずっと興味を持っていたし、いまでも関心を持っている。
聖書から様々な教訓を学びとることで、いままで疑問に思っていた事柄に対して、少しずつ答えを見出している気がする。
ご承知のように聖書には旧約聖書と新約聖書がある。旧約聖書はユダヤ教の経典でもあるが、新約聖書はイエス・キリストの言動を弟子たちが記した文書を集めたものであり、ユダヤ教では認められていない。
いまわたしたちが手にしている聖書が出来上がるまで、相当の年月がかかっており、聖書を編纂した先人たちは、数ある文書群の中から聖書としてふさわしいものを選び出し、長年にわたる推敲の結果、選定作業が行われ、現在のかたちになったものである。
新約聖書の冒頭にあるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書には、イエスの言動がカギ括弧付きでそのまま記載されている。そしてイエスの誕生については「マタイによる福音書」の第一章と第二章に詳しく述べられている。
最後にイエスの言動で興味があるところを二つ紹介したい。
一つは「マタイによる福音書」第二十一章(18節〜19節)で、「朝早く都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当たらなかった。そこでその木にむかって、『今から後いつまでも、おまえには実がならないように』と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。」という。
イエスはお腹がすいていて、空腹を満たしたかった。そのときいちじくの木が目に入って、その実を食べようとしたら一つも実がなっていなかった。するとそれが悔しかったイエスは腹たちまぎれに、いちじくに呪いをかけてしまったのである。これはイエスがきわめて人間的な感情をもっていた証拠である。
もう一つは「ヨハネによる福音書」第八章で、「…律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。…イエスは身を起こして彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のないものが、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
…これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。…イエスは言われた。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。…」
石を投げてはならないといえば、モーゼの律法に反してしまい、訴えられる口実となる。かといって石を投げろといえば、愛を唱えているイエスとしては弟子たちに批判されてしまう。そこで思いついたのが「罪のないものがまず石を投げなさい」といった言葉である。
世の中に罪を犯していない人などいないものであるから、そこをつけば誰も石を投げることはできないだろうとふんだのである。すばらしい戦略であると思う。
]]>
こころの病気は身体の病気と違ってお薬だけで治るものではありません。でも薬物療法は極めて効果的で大切な治療法の一つですから、自分に合った薬を選ぶことはとても大切なことです。
お薬の効果は飲んだ人にしか分かりませんから、薬が効いたか効かなかったかは患者さんに聞いてみるしかないのです。そして薬のもたらす効果と副作用の様子から、その薬を継続すべきか、変えるべきかを判断します。
効果はあるけれど副作用がきついという場合には、効果の方を重視するならば、副作用はある程度我慢してもらうしかないのです。
しかし副作用が我慢できないということであれば、薬を変えてより副作用の少ない薬を検討します。どちらを選ぶかは患者さんと相談して決めていきます。
ただし、抗不安薬は飲んですぐ効果が現れますが、抗うつ剤は効果が現れるまで3週間ほどかかる場合があります。そして効果が表れてもそれで治ったわけではないのです。
多くの場合、効果があったと思える時と、いつもと同じように飲んでいても全く効果がみられない場合があります。何故そういうことが起こるのでしょうか。
それは抗不安薬や抗うつ剤は、病気の原因を直接治す力はないからなのです。原因に直接作用してその原因を取り除ける薬であれば、薬が効いて症状がなくなったときにはすでに原因が除去されているわけですから、二度と症状は出ないはずです。
治療法には原因療法と対症療法があります。原因療法は病気の原因を取り除く治療法で、たとえば、細菌による感染症には細菌を殺してしまう抗生物質を服用すれば、細菌が死んでしまうので、原因がなくなってしまい病気が治ってしまいます。
しかし、高血圧症や高脂血症、糖尿病などの慢性疾患は、原因を取り除く治療法が確立していないため、症状を改善してコントロールするしか方法がありません。これらの症状に対して治療する治療法を対症療法といいます。
そしてこころに作用する薬はすべて、こころの病気の原因に直接作用することはなく、症状に対して効果をもたらす、いわゆる対症療法といわれる治療法のお薬なのです。
薬で治療していても原因が取り除けないなら、一生薬を飲み続けなければならないのかという疑問が湧いてくると思いますが、そういうことはありません。
薬物療法を継続していると症状が軽くなって気持ちが楽になりますので、その状態を続けていると、それがこころの習慣になってしまい、そのいい状態が長く続けば薬を少しずつ減らしていくことができるようになり、ある程度の期間安定した状態が続けば、最終的には薬を止めるところまでもっていくことができるのです。
治り方も特徴があり、毎日毎日、薄紙をはがすように、少しずつ確実に良くなっていくような治り方と違って、良くなったり悪くなったりを繰り返すのですが、じっと耐えて飲み続けていると、だんだんと良い時が増えて、悪い時が減ってくるといった治り方をします。
こころの病気の原因はとても複雑です。内因性といってまだ原因がよく分からないもの、外因性といって原因が自分の外側にあるもの、心因性といって原因が自分のこころに内在しているものなどに分けられますが、多くの場合その3つの要因はすべて関係していて、どれが原因と決めつけることはできません。
原因をつかむことで病気の治療が早く進むと考えることは正しいのですが、原因が見つかったとしてもそれを取り除くことはなかなか難しい場合が多いようです。
原因が何であれこころが病んでいる状態を早く改善することが大切です。それには薬物療法が一番効果的です。原因はつかめなくても症状は改善します。
治療を続けていくと薬物療法が効果をもたらし、症状が改善してこころにゆとりが出てきます。そして何故自分はこのような病気になったんだろうかという疑問が生じてきます。
ここで過去の自分を反省したり分析したりしていると再び不安が襲ってきたり、気持ちが落ち込んだりして症状が再燃してきます。
過去はもう戻ってきませんし、過去に戻ってやり直すことはできないので、反省するのではなく、これから再びこのようなこころの病気にならないためにはどうしたらいいかを検討します。
自分が抱えている問題点をひとつひとつ明確にして、どうしたらうまくいくようになるのか、ひとつひとつ検討していかなければなりません。
これは治療というより、新しい生き方や考え方を学習するということになります。時間はかかりますが必ず成長があり、新しい自分になっていくことができるのです。
わたしたちは日常の生活の中で、いまの自分の生活に満足している人はほとんどいないのではないかと思う。何とか今の自分を変えたい、将来の自分を変えてみたいと願う人がほとんどではないだろうか。
そうはいっても現実問題として、どのように自分を変えてみたいのかと問うとはっきり答えられない人がほとんどである。自分をどのように変えたいのかという具体的なビジョンというものを持っていない。さらに自分を変えるための具体的な方法や手段がわからないのである。
変わらなくてはいけない、何とかしなければと焦ってはみるものの、具体的に行動に移さなければ変化は起こらず、当然のことながらいつまで経ってもいまの現実がそのまま続いてしまう。そうなるとさらに焦ることになり、ストレスがたまり精神的に不安定になってしまう。
すると精神的に不安定になるよりは、変わらなくてもいまの現実を受け入れてしまったほうが精神的に安心できると思うので、結果的に何もしない、何もできない、現状維持ということで終わってしまう。
今の自分を変えるためには考え方を変える必要がある。しかし、考え方を変えるというと不安になる人がいるので、新しい考え方を導入する、今までの自分になかった考え方を、自分のこころに追加してみると考えると、不安にならなくて済むのではないか。
今までの自分はそのまま持っていても、新しい自分を創っていくことに何ら矛盾はない。何故なら、いままでの自分を壊してしまって、新たな自分を再構築するのではなく、いままでの自分とは無関係に、新しい考え方を自分に付け加えていくからである。そうすれば、自分の可能性をどんどん増やすことができる。限度はないのである。
人は生きているだけでいろんな体験や経験をするものである。自分の気持ちとは無関係に、自分の身の回りで勝手にいろんなことが起こってしまい、対処せざるを得なくなる。そして対処することの経験を積み重ねることで、自分を創りだしているのである。
この身の回りで起こった様々な体験や経験を、いままでの自分のやり方とは全く違う新しいやり方で積み重ねていけば、新たな自分の意思に沿った、新しい自分を創り上げていくことができるのである。
それでは新しい自分を創るためにはいったいどうしたらいいのだろうか。
人にはいろんな考え方があり、思考のパターンも様々である。体験や経験に対する反応の仕方にも個人差があり一概には言えないが、共通していえることはいままでとはまったく逆の選択をしてみるということである。しかもこころを快適に変えるためには、ポジティブな選択をすることである。いままで「NO」といっていたことに対して「YES」といってみるのである。
いままでの自分と違う選択をするとなると、どうしても心に抵抗が生じてくる。それはおかしい、受け入れられない、という気持ちが起きるのは当然である。そして受け入れるとしたら、それを納得するための根拠を求めようとするのがふつうの流れである。
しかし、そのようなこころの反応はストレスを生じて不快感を覚え、新しい自分を創造する足を引っ張ることになる。ここで悩み、思考が止ってしまうと、結局はもとの自分に戻ってしまうのである。
自分を変えたいと思うのなら、何の根拠もなくそうすべきである。そうしないと変わらないのである。いちいち変わるための理由や言い訳を考えていると物事が進まなくなる。
セオドア・ルーズベルトは「『できるか』と聞かれたらいつでも『もちろん』と返事することだ。それから懸命にやり方を見つければよい。」と言っている。
人は人生のいろいろな場面で選択を迫られるものである。なかなか決められなくて立ち往生することもあるだろうが、決断しなければ前に進めないのである。
決断した結果がうまくいかなければ、ダメージが小さいうちに、早急に次の決断をしなければならないのである。ヘンリー・フォードは「失敗とは、よりよい方法で再挑戦するいい機会である。」と言っている。
人生は選択して決断することのくり返しである。この回数が多ければ多いほどその人に生きていくための知恵や能力が付いてくるのである。
「これこれ一休殿、最近お城にある屏風の虎が、夜な夜な屏風から抜け出し、暴れ回って困っておる。何とかしてこの虎を退治してはくれまいか。」
屏風の虎が抜け出して暴れるなどあり得ないのだが、あえてそういって一休さんがどんな知恵を出すのかを試そうとしたのである。
一休さんは少しもあわてず、「分かりました。おまかせください。」といって、御家来衆に「頑丈な縄を用意してください。」と頼み、屏風のところに行くと、さすがに名のある絵かきの作品なのだろう、いまにも飛びかかってきそうな威厳をもった虎が描かれていた。
一休さんはねじりはちまきにたすきをかけ、縄をしっかりと持つと、「さあ、お殿様虎を屏風から追い出してください。見事、捕まえて縛り上げて御覧に入れます。」といって、いつ虎が出てきてもいいように構えてみせた。
するとお殿様は自分でいったことも忘れて、あわてて一休さんにこういった。「何をいうのだ、屏風の中の絵に描いた虎を、追い出せるわけがないだろう。」
すると一休さんはにっこり笑って「虎が屏風から出てこなければ、いくらわたしでも捕えることも、縛り上げることもできません。」と答えたという。
これを聞いたお殿様は、さすがは一休さんだ、また一本取られたと苦笑いしたというお話。
この話は、禅のこころをうまく表現している。わたしたちは日常生活の中でこれと同じことをやっていることが多い。まだ結果が出る前から、うまくいかなかったらどうしようと気を揉んでしまう。悪い結果を予想してしまう。そうすると悪い結果が起こる確率が高くなる。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句がある。怖いと思っていると何でも怖いものに思えてくる。怖いとまではいかなくても、取り越し苦労をして悪い結果を予想することは多いものである。
屏風から虎が出てくることは、あり得ないことと重々分かっている。それでも出てきたらどうしようとあわててしまう。冷静に考えればすぐにわかることであるが、不安が先行していると、見えないものが見えてくる。聞こえないものが聞こえてくる。取り越し苦労であることは承知していても、当人にとっては辛い現実として実感される。
ある時、悩みを抱えて困り果てた檀家の人が、お寺の住職に相談に行った。悩み事を延々と話し続けるが、住職は話を中断しないで、黙って最後まで聞いてからおもむろにいった。「いまあなたがいった悩みを全部ここに出してみせなさい。わたしがそれらを木っ端微塵にたたき潰してあげよう。さあここに出してみせなさい。」
相談にいった檀家の人はあっけにとられて、「そういわれても悩みはこころの中にあるもので、ここにもそこにも出せるというものではございません。」と答えると、住職は「そうかそうか、あなたの悩みは絵に描いた虎のようなものだな。いくら虎が怖そうに思えても、絵に描いた虎が飛び出してあなたを食い殺すことがないように、あなたの悩みもあなたから飛び出してあなたに被害をもたらすことはない。あなたの悩みはあなたがこころに描いた虎の絵のようなもので、現実には起こりようがないものだよ。」といったという。
「屏風の虎」の話では、檀家の人はお殿様にたとえられ、住職は一休さんにたとえられる。
かって1999年の7月に地球が滅亡するというノストラダムスの予言があった。信じた人も多いことだろう。しかし地球は滅亡することもなく、わたしたちはいまでも生きている。そしていまマヤ文明の暦から、2012年に人類が滅亡するという終末論もささやかれている。本当だろうか?
終末論の起源は聖書にある「ヨハネの黙示録」が一番古いものである。いままでにもたくさんの終末論があったが、どれも実現していない。わたしたちが不安を覚えるのは、わたしたちのこころに「取り越し苦労」という心理機制があるために、不安を先取りして心配してしまうからである。
「恐怖は常に、無知から生まれる。」とエマーソンはいう。知らないということが不安を招き、恐怖心をあおるのである。そしてチャーチルは「未来のことなど分からない。しかし我々には、必ず過去が希望を与えてくれるはずである。」という。
将来のことは誰にもわからないが、過去に困難を乗り越えた経験があれば、未来の困難もきっと乗り越えることができるのである。
やる気を起こす基本は何か。それは誰の心の中にもある何かをしたいという自然な欲求を、我慢したり抑えたりしないで、常日頃から大切にすることである。
何かをやりたいと思ったら、それがうまくいくかどうか分からなくても、とにかく始めてみることである。やりたいという欲求を満たしてあげることである。やりたいという欲求を押さえつけてはいけない。我慢してはいけないのである。この時点では結果のことは考えなくていい。心の中に生じた欲求を外に向かって発露することが一番大切なことなのだ。
もちろんやりたいことが法律に反することであったり、倫理に反することであったり、人の嫌がることや迷惑になるようなことであってはならないが、それ以外のことならば何をやっても自由なのである。
多くの場合何かを始めるときに、人はその結末を予測する。それは当然なことである。そして楽天的に考える人は自分に都合のいい結末を予測するが、悲観的に考える人は、自分に都合の悪い結果に終わるのではないかと考えてしまう傾向にある。
そして悲観的な人は、自分に都合の悪い結果が出ることが怖いので、行動を起こすことを躊躇する。だから悲観的に考える人はよけいやる気が育たないのである。
どんな人にとっても先のことは分からない。予測したり想像したりすることはできても、確実に期待どおりの結果が得られるとは限らないのである。それでも何かを始めなければ成功も失敗もないのであるから、とりあえず始めてみるしかないのである。
もしその結果がうまくいかなかったら次の対策を立てる。成功するための別の方策を検討するのである。そして新しいプランで再度やってみることである。
これは何回繰り返してもかまわない。制限はないのである。むしろ何回も繰り返すことによって、小さかったやる気が大きく成長するのである。なぜなら何回も繰り返すことによって、やる気をくり返し学習したことになり、やる気が大きく成長することになるからである。
やろうとしたことがうまくいかなくても、費やした時間と労力が無駄になることはない。うまくいかないことがわかれば、それも一つの成果なのである。その成果をもとに新しいプランを立てて、再度挑戦することができるのである。つまりその方法ではうまくいかないことがわかったという成果が出たのである。
何かをしようとするとき、どうしても抵抗感があることがある。嫌だなという思いが先行してしまうと、やらなくても良いための理由を考える。「明日やればいいや、今は必要ないことだ。」と決めつける。「今やる理由はない。」などと、やらないでいる自分を正当化する。
それはそれで、その場のストレスを回避したという意味では結構なことなのだが、そういう考え方をしてしまうと、やろうとする気持ちを自分自身で押さえ込んでしまったことになる。これではやる気が育たない。やる気を育てるためには、思いついたらやらない理由を考え付く前に実行に移し、行動を起こすことである。
わたしたちの脳は学習する能力を持っている。学習するということは、脳の記憶回路に電気を流すことによって、その回路に記憶の痕跡を残す作業である。脳の記憶回路に電気を流す回数が多くなればなるほど、記憶の回路は大きく、太く成長する。するとますますその回路に電気が流れやすくなるのである。
これはどういうことかというと、やる気という情報を受け持つ回路に電気を流し続けると、やる気という思いが大きく、太くなるということである。最初は小さなやる気でも、それをくり返し感じて思い続ければ、だんだんと大きなやる気がこころに現れるということである。
そしてやらないで済まそうという考えを持っていると、その回路が働き始め、さらにいつもやらないで回避することを繰り返していると、その回路が大きく太く成長して、やらないで済ませる考え方がこころに定着してしまう。
「やる気を出すようにいつも努力はしているのですが、どうしてもやる気が出ないんです。」という人がいる。努力してもやる気が出なければ、その努力のしかたが間違っているに違いない。脳の特性を理解して、その仕組みにあった努力のしかたをしなければ成果は期待できないだろう。
やる気を育てるためには、日常生活の中のささいなやる気に気がつくこと、それを結果を気にしないで実行にうつし、結果はどうであれ成果を出すこと。そしてそういう体験を数多くこなしていると、しだいにやる気が育っていくのである。
]]>当時、尼子氏とともに中国地方の覇権を争っていたのは毛利氏であり、たび重なる合戦の結果、毛利元就の軍勢は尼子義久の居城である月山富田城を攻め落とし、ここに尼子氏は毛利氏の軍門に下ることになる。義久は幽閉の身となって、戦国大名としての尼子家は一旦途絶えてしまう。
しかし忠誠心に厚い鹿之助は、尼子家再興のために獅子奮迅の働きをして、一時的に再興を果たすが、長くは続かず戦いに敗れてしまう。二度目も失敗に終わり、三度目の再興を果たすための合戦の中、毛利軍に攻められ敗退して捕えられる。そして毛利輝元のもとに護送される途中、殺害されてしまうのである。鹿之助は武将としての価値を高く評価されていたため、このまま生かしておいたら何をやらかすか分からないという恐れが毛利側にあったのだろう。
子供の頃から尼子氏に仕えていた鹿之助は、主君に忠誠を誓うというより、尼子氏という家に対する忠誠心が強かったようである。三度目の再興を果たすときに、担いだ尼子勝久は毛利軍に包囲され自害したが、鹿之助は自分が尼子家を再興するから安心して自害してくれと言ったという。
山中鹿之助、本名は幸盛(ゆきもり)という。彼の人となりは一考に値するものがある。有名な彼の言葉で、「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと伝えられているが、満月ではなく三日月に祈った理由は、おそらく山中家に代々伝わる甲冑の兜の前立てが三日月であったことによるのではないかとおもわれる。
それはともかく、人が神仏に何かを願うときは、多くの場合自分に利益をもたらすことや苦痛から解放されることを願うものである。家内安全、商売繁盛などと願うのが普通であろう。しかし鹿之助は何故自分に苦痛を与えることを願ったのだろうか。
鹿之助が生きた時代背景もあるが、戦国時代は乱世である。力のあるものだけが生き残り、弱いものは否応なく切り捨てられ、それがあたりまえの厳しい時代であった。だから生き残って自分の思いを実現させるためには、才覚、英知、腕力など様々な力が必要であった。
それらの力を手に入れるためには、尋常な手段や、やわな気持ちでは到底身につけることが出来ない。質実剛健は武士の基本であるが、それだけでは他の武士と同じである。それ以上の力が必要なのである。
それではどうしたらいいのか。どのような戦も思うように展開しないことがある。むしろそのほうが多いのではないか。正攻法だけでなく奇襲攻撃やゲリラ戦も必要である。だから、どんな困難にも耐えうる能力が必要であり、それを得るためにはとてもできそうにないような困難な状況を克服しなければならない。
鹿之助はどのような困難も乗り越え、耐えうる力を身につけるために、あえて困難な状況に身を置いて、自分の精神と肉体を鍛えようとしたのである。それが七難八苦を与えたまえと祈った所以なのである。
鹿之助は一度目の再興に失敗して、毛利軍に囚われの身となるが、腹痛を訴え何度も厠へ行き、頃合を見計らい、監視の目を盗んで糞尿壺に潜み、糞尿まみれになりながら汲み取り口から脱走したという。何としても生き延びて、尼子氏再興を成就させたいという鹿之助の、凄まじい執念のようなものを感じさせるエピソードである。
若い人には少し説明が必要と思うが、昔は今と違って水洗トイレはない。排便、排尿したものはそのまま糞尿を貯める大きな壺にためておく。いっぱいになったら汲み取り口から柄杓で汲み出して、畑の肥溜めに貯めておく。そしてある程度発酵したら畑に撒いて肥料とするのである。
人が成長して能力を高めるためには、すでに出来てしまっていることをしても能力は高まらない。今までに出来なかったことを成し遂げてはじめて、いままで持っていなかった新しい能力が身につくのである。
それは初めてすることなので対処法が分からない。既存のノウハウが無いのであるから、思考錯誤の中で失敗を繰り返しながら、新しいノウハウを身につけていくしかないのである。そこで命を落とすこともあるだろう。しかしそれを乗り越えれば素晴らしい能力を手にすることが出来るのである。
『憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の力試さん』
これは、もっとも鹿之助らしさを表現している力強い句である。いまも辛いことや苦しいことはいっぱい抱えているが、さらにもっと増やしてくれ、生きている限りどこまでやれるか、自分の力の限界を試したいのだと、鹿之助の雄叫びが聞こえてくるようである。
]]>この中で彼は、交渉人として絶対に使ってはいけない言葉をおしえてくれる。それは否定的な言葉や、少しでも否定を意味する言葉は絶対に使ってはならないということと、犯人の要求することを批判したり、分析したり、わずかでも拒否してはならないということである。
犯人はいら立っており、ほんの一部分でも拒否や否定の言葉を発すると、犯人は自分の要求のすべてが否定されたと思い込み、激高して感情的な行動を取ってしまう。すると人質が殺害される危険性が大きくなるという。
交渉人の仕事は人質を安全に救出することと、犯人を無事に逮捕することであるが、言葉の上では、犯人を安全に解放するという表現に変えて伝えるのである。
社会生活をしていく中で、人と人が交渉する場面は避けて通れない。交渉という言葉は相手を説得する手段として考えられやすいが、そうではなく交渉はお互いの言い分を通すための具体的な話し合いなのである。
一方的な説得は、説得される側が相手に負かされてしまったという気持ちになりやすいため、その場では説得されてもあとで気持ちが変わり、決裂してしまうことがある。
交渉するということは、譲歩できる部分と譲歩できない部分に分けて、譲歩できない部分を取り上げ、これに対してお互いが新たな提案を出し合いながら、譲歩できる部分に変えていく作業なのである。
交渉のためのノウハウを交渉術といい、その能力を交渉力という。交渉は人と人との対話であり、相手から有利な条件を引き出すための心理戦でもある。人の心を読むというと心理学者の仕事と思うかもしれないが、わたしたちも日常生活の中で無意識に行っていることである。
相手と交渉して譲歩を勝ち取る方法に、フット・イン・ザ・ドア・テクニック(段階的要請法)というのがある。これはセールスや営業のテクニックとして使われることがあるが、相手にこちらの要請を受け入れてもらうために、まず小さな要請をしてみる。それくらいの要請ならばのんでもいいと思われることである。
そしてそれを受け入れてもらったら、次に本来の要請をしてみる。人は最初の要請を聞き入れてしまうと、なぜか次の要請を断りづらくなるものである。もし本来の要請が大きすぎると思われる場合、その間にもう一つ小さな要請を入れてもいい。どちらにしろ、最初の要請を軽い気持ちで受け入れてしまうと、次に要請されたとき、最初の要請を承諾したという事実に、気持ちが拘束されてしまうのである。
以前のことだが、おいしい水をいつでも飲めるという浄水器を、設置させて欲しいというセールスマンが来て、「1ヶ月間無料でお使いください。お気に入っていただけましたらご購入していただき、お気に召さなければ引き取ります。もちろん設置料も1ヶ月間の使用料もいただきません」という。
1ヶ月間無料だからと軽い気持ちで承諾すると、きっと断れなくなると思ったのでお断りしたことがあるが、これはフット・イン・ザ・ドア・テクニックのいい例であろう。
これとは対照的なやり方にドア・イン・ザ・フェイス・テクニック(譲歩的要請法)というのがある。これは最初にまず、相手が当然拒否するだろうと思われるような大きな要請をして、それをわざと拒否させておいて、次にそれに比べたら小さなことと思われる本来の要請をすると、承諾を得やすいというものである。
たとえば家電量販店などでお客さんが「もう少し何とかならないか」と値引きを交渉すると、店員は電卓をたたいて、難しい顔をしながら、売り場の責任者と相談するといって、その場を立ち去り、しばらくして戻ってくると「わかりました。ご希望の金額で結構です。」と、いかにもお客さんが得をしたように演出をするが、これは本来店側が予定していた金額なのである。
会社での上司と部下との関係、学校での先生と生徒との関係、家庭での夫婦関係、兄弟、親戚との関係、それに友人関係など、様々な人間関係をうまく支障なく進めるために、交渉力は必要になる。そして、交渉術は単にコミュニケーションをとるというだけでなく、自分の要求と相手の要求をいかに調和させていくか、その中からお互いにとって一番有益な方法は何かを見出していくテクニックなのである。
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