事実かどうかは定かではないが、彼の実家の庭にあったというリンゴの木の枝を接木したものが小石川植物園に存在する。これは昭和39年イギリス国立物理学研究所長サザランド卿より日本学士院長柴田勇次博士に送られ、その後寄贈されたものだそうである。
ニュートンの業績はいろいろあるが、一番有名なものは、やはり万有引力の法則であろう。これは古典物理学の基礎をなすものであり、わたしたちが学校で習った物理学はこのニュートン物理学であった。
そして物体の運動に関するニュートンの第一法則で、慣性の法則と呼ばれるものがある。これは「外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止の状態を維持して、運動(等速直線運動)している物体は運動している状態を続ける。」というものである。
「飛び出すな。車は急に止まれない。」という交通標語があった。等速直線運動をしている車を止めるためにブレーキを踏んでもすぐには止まらないし、止まっている状態から発進させるためには、多大のエネルギー(燃料)を必要とするものである。
この慣性の法則は人のこころにも存在する。日常生活の中のいろいろな場面を思い起こしてみると、誰にでも思い当たることがあると思う。
例えばダイエットをしようと決心して、明日から始めようと思うが、明日になるとつい今までの習慣が新しい自分の決心に勝ってしまい、つい食べてしまう。そしてまた明日から始めようと再度決心する。でも今までの習慣はなかなか変えることができず、これを繰り返してしまう。誰でも経験があるだろう。
何事もいざ始めようとすると、こころに抵抗を感じて何となく不快な気持ちになる。次にしようとすることが何か巨大なものに思えてくる。自分にはムリなのではないか、自分には出来ないのではないか、そういう思いがやろうとする気持ちの足を引っ張る。
すると、急ぎのことでも重要なことでもなければ、ついつい先に延ばしてしまう。いつかはやらねばならないことでも、いまはやらないことでその場はホッとする。
こころの慣性の法則も外からの力を加えない限り、現状を維持しようとする力が働くということである。
車の場合はエンジンをかけてアクセルを踏めば動き出す。こころの習慣を変えるためのアクセルを踏むためには、いったいどうしたらいいのだろうか。
多くの人は、すぐに結果を求めようとする。何か魔法の杖のようなものを期待して、困難を一気に片付けようとする傾向がある。しかし、長年かけて作り上げてきた習慣という巨大な質量を持ったものは、そう簡単に動かせるものではない。
しかし時間をかければ、どんなに大きな習慣でも少しずつ動き始め、動き始めると最初ほどの力を使わずに変化していくものである。ただし、どんな場合にも力を加え続けるということである。決して力を抜かない、中断しないということである。継続は力なりという。
やせるためには、単純に考えて消費するカロリーより摂取するカロリーを少なくすることである。足りないカロリーを体内の脂肪を燃やすことによって補い、その結果体重が減ることになる。
ただ、脂肪を燃やすと同時に筋肉も利用されてしまうので、同時に筋トレなどの運動を行い筋肉の減量を押さえることが大切である。
子どもの頃や成長期には、遊びや運動などで消費するカロリーは多いものである。だから摂取するカロリーが多少多めでも、そのエネルギーが成長のために使われていたので太ってしまうことはなかった。
しかし、年齢とともに身体の成長がとまってくると、アスリートなどの身体を使うエネルギー消費量の多い人は別として、普通の人は若いときよりカロリーを消費しなくなる。
食生活の習慣は長い間かけて作られているので、すぐに食事量を減らすことはできない。当然のこととして従来の食生活の習慣を継続しているため、摂取カロリーが消費カロリーを上回ってしまい、過剰に摂取されたエネルギーは脂肪として体内に蓄積されてしまうのである。
レコーディングダイエットというのがあった。自分の食生活の習慣に気づかせて、意識してカロリー制限をしようという試みである。いままであまり意識することなく食べていた食事内容を客観的に見つめることで、カロリーオーバーを自覚することにより摂取カロリーを減らすという。
その他にも様々なダイエットが提唱されている。こころの習慣を変えるためのアクセルはたくさんあるので、自分に合ったダイエット法を試してみることである。しかしどのやり方もじっくりと時間をかけてやることである。すぐに結果を出そうとしないことである。
急激なダイエットは、身体に負荷がかかりすぎて体調を壊す。車を加速するとき、エンジンの回転数が上がるのを待てないで、アクセルを踏み込みすぎるとエンストするのと同じである。
]]>この遺伝子はほとんどの生物に存在する。もちろん人間にも存在し、うまく働かせると20~30%寿命が延びるという。本当なのだろうか。
アメリカ、ウィスコンシン大学のリチャード・ワインドルック博士らのグループは、平均寿命26歳のアカゲザル80匹を20年以上飼い続け、老化のメカニズムを研究し、老化を遅らせる遺伝子を特定し、そのスイッチをオンにする方法を発見した。
その方法とは極めてシンプルなものである。アカゲザルを2つのグループに分け、片方には欲しがるだけの餌を与え、もう片方には栄養のバランスを考えて、必要最小限の餌しか与えなかった。もちろん運動させたり他の条件は全く同じ環境で育てたのである。
人間で言えば80歳くらいに相当する2匹のサルを比べてみると、欲しがるだけ餌を与え続けたサルは年齢相応に老化していたのに対して、制限した餌だけしか与えなかったサルは、見た目も若く動作も機敏で、顔のしわもなく毛のつやもよく、とても同じ年齢のサルとは思えなかった。5歳から8歳くらい若々しく見えたのである。
2匹のサルの違いは餌の量にあった。餌に含まれる栄養素は全く同じで、摂取した餌の量だけが違っていたのである。つまり老化を遅らせる遺伝子のスイッチをオンにする方法は、摂取カロリーを制限することだったのだ。欲しがるだけ餌を与えたサルより30%少なく与えるだけで、老化を遅らせる遺伝子のスイッチがONになったのである。
この長寿遺伝子がONになると、身体の中でどのような変化が起こっているのであろうか。
歳をとると、細胞内のエネルギー工場であるミトコンドリアの機能も低下して、生体にとって有害な活性酸素を出すようになる。この活性酸素は体内のさまざまなものを酸化して、壊してしまう働きをする。
皮膚のしわやしみ、白髪もこの活性酸素が皮膚の細胞を壊すことが原因である。そして活性酸素が脳の神経細胞を壊すと、脳が萎縮して物忘れや認知症を引き起こしてしまう。
ところが、長寿遺伝子がONになると、ミトコンドリアの中で活性酸素を消す物質が盛んに作られるようになり、活性酸素が漏れ出さなくなる。これが皮膚や脳の神経細胞さらに全身の細胞で起こった結果、細胞が温存され、結果的に若さが保たれ、寿命が延びることになるというのだ。
カロリー制限が生物の寿命を延ばすことは以前より知られていたが、ワインドルック博士らのグループの研究成果は、アカゲザルでそれを証明しただけでなく、その遺伝子を特定したことにある。
それは分かったのだが、この長寿遺伝子をONのするために、カロリー制限を続けることができる人はどれくらいいるだろうか。長寿と健康が手に入るのならカロリー制限を続けることに吝かではないという人はそれで良いのだが、食べ物を制限することに抵抗がある人はどうしたらいいのだろう。カロリー制限しなくても長寿遺伝子のスイッチをONにできる方法はないのだろうか。
ハーバード大学のデービット・シンクレア博士とクリストフ・ウエストファール博士のグループは、長寿遺伝子のスイッチをONにする仕組みを研究して、長寿に結びつく物質を探し出した。それはレスベラトロールというポリフェノールの一種で、赤ワイン、ぶどうの皮、ピーナッツやリンゴの皮、たまねぎの皮などに含まれる。
このレスベラトロールは、カロリー制限をしたときと同じように、SIRT1という酵素を活性化させる。そしてこのSIRT1という酵素は、活性酸素や紫外線、さらには放射線などにより傷ついた遺伝子を修復する機能を持つという。
老化するということは、遺伝子が活性酸素や紫外線、放射線などにより傷つき、細胞分裂の際にその傷ついた遺伝子がそのまま複製されていくため、次第にもともと持っていた細胞の機能を果たせなくなり、細胞が壊れていくことによって起こるものである。
だから、カロリー制限やレスベラトロールなどを摂取することにより、傷ついた遺伝子を修復することによって、細胞が長く生きることになり、寿命が延びるということになるのだ。
いま世界中でレスベラトロール以外にも様々な物質が研究されており、今後の研究成果が期待されている。
]]>これを治療するにあたり、症状を改善するために一番効果的なのは、抗うつ剤を服用することなのだが、それ以外にもやらなくてはいけないことがある。それは生活環境の改善や、その人が持っている考え方を再検討することである。
一般的にうつ病になりやすい人の考え方には特徴があり、性格的には真面目で責任感が強く、几帳面で完璧主義者でがんばりやである。さらに人に頼まれるとなかなか嫌といえないところがあって、周りの人に気を使い、うまくいかないと、自分が悪いのではないかと思いつめてしまうところである。
このうつ病になりやすい人の性格の根底には、小さい頃からの自尊心の欠如があるように思われる。つまり自分はだめな人間である。だから常に努力をしていなければ、認めてもらえない。いやいくら努力をしても完璧ではない。だからさらに努力をして完璧を求める。
そして人に評価されるのを極端に恐れ、人から認めてもらえるようにひたすら努力する。そこには自尊の気持ちは全くといっていいほど見られず、いつもこころが満たされず、不全感と不安感が渦を巻いている。
周りの人から見ると、まじめな努力家であり、物事をきちんとこなし、責任感が強く信頼できる立派な人物であると高い評価をされるのであるが、当の本人のこころはぎりぎりのところまで張りつめていて、いつ緊張の糸が切れてもおかしくない状況にある。
この状況が続くと、心のエネルギーが枯渇してしまい、思考力は低下し意欲もなくなって、物事が進まなくなってしまう。ちょうど燃料の切れた車のように止まってしまうのである。
こういった考え方の人が、いったいどうやったらやる気が出るのだろうか。うつ病になりやすい人の性格が悪いといっているのではない。むしろ社会人としては好ましい性格であり、組織の歯車としては立派に職責を果たし、安心して信頼できる存在なのである。
社会人としては立派ではあっても、そのひと個人の幸せや満足度を考えるといささか問題がある。社会に立派に貢献していながら、個人としては決して幸せでも満足しているわけでもないからである。
薬物療法はうつ病の症状は改善してくれるが、うつ病の原因を直接治してくれるわけではない。うつ病の直接の原因は今のところ分かっていないが、うつ病を誘発するきっかけや誘因となるものはいろいろと考えられる。
その中でもうつ病の治療にあたり重視しなければならないものは、前にも述べたように人間関係を含めた生活環境と、うつ病の人に多く見られる性格傾向である。
さらにこの二つは密接に関係があり、うつ病になりやすい性格の人は、うつ病を発症しやすい環境を好み、そこから抜け出せないような思考パターンをしてしまう。
うつ病の精神療法の一つに認知行動療法がある。認知とはその人が物事をどのように捉えているのか、つまり物事の捉え方のことである。この物事の捉え方は人により様々であるが、うつ病の人の物事の捉え方にはある特徴的な傾向が存在し、それを認知の歪みという。
歪みという表現はあまり適切とは思えないが、うつ病になりやすい人は、考え方の幅が狭いというか、思い込みが激しいというか、他の考え方を知識としては知っていても、それを認めることができないというところだろう。
これを改善するために、自分と対極にある考え方を書き出して、自分の考え方と比較してみることである。つまり自分の考え方を客観的に第三者の目で見てみると、どのように映るのだろうかと考えてみる。
どちらが正しい、どちらが間違っているという判断の仕方ではなく、二つの考え方を同等の価値観で捉え、もう一つの対極の考え方も取り入れてみることである。
多くの場合うつになりやすい人は否定的な考えを持ちやすい。例えば代表的な認知の歪みに「過度の一般化」というのがある。これはひとつうまくいかないことがあると、すべてがうまくいかないような気がするという考え方である。
世の中うまくいくこともあればうまくいかないこともある。このことは当然分かっている。しかし、うつ病になりやすい人にとって、それが自分の身に及ぶとなると状況は違ってくるのである。どうしても「過度の一般化」をしてしまう。
そのほかにも認知の歪みはたくさんあるが、認知行動療法はこの歪みに気がついてもらい、考え方の幅を広げ、気持ちを楽にすることによってストレスを減らし、うつ病の治療に確実な効果をもたらす治療法なのである。
]]>あるときロバを売りに行く親子が、ロバを引いて歩いていると、村の人が笑っていいました。「バカだなー、ロバに乗っていけばいいのに。」それを聞いたお父さんは、「それもそうだ。」と思い、あわてて息子をロバに乗せました。
しばらくするとお父さんの友だちがやってきて「子どもを乗せて自分が歩くなんて、甘やかしてはダメだよ。」と言われ、お父さんは「それもそうだ。」と思ってまたまたあわてて、子どもをおろし今度は自分が乗りました。
すると牛飼いのお姉さんに「自分は楽をして、小さい子どもを歩かせるなんてひどい父親だね。」と言われます。「なるほどそうだな。」と思ってお父さんはあわてて今度は二人でロバに乗りました。
ロバは二人も背中に乗せて、苦しそうによたよた歩いていました。ちょうど教会の前を通りかかると、牧師さんに「二人で乗るなんて、ひどい親子だ。ロバが弱っているじゃないか。」と言われ、もうどうしていいか分からなくなりました。
すると牧師さんは「ロバを担いでいきなさい。」といったので、ロバの足を棒にくくり、二人で担いでいきました。重くて大変でしたがもうすぐ市場に到着です。
ところが橋の上まできたところで、逆さにつるされたロバは苦しがって暴れ出し、棒が折れて川に落ち、流されていってしまいました。
大切なロバをなくしたお父さんは、「ああ、何ということだ。これというのも自分が人のいうことばかり聞いていたからだ。」と親子でしょんぼり家に帰っていきました。
この話の一般的な教訓は、「人の意見を聞くのはいいが、それをそのまま受け入れないで、もう一度自分でじっくり考えてから判断しないと、大切なものをなくしてしまうよ。」ということでしょう。
この話を聞いて考えさせられるところはたくさんあります。この物語に登場する人物は、お父さんと子ども、村の人々、お父さんの友達、牛飼いのお姉さん、それに牧師さんです。
あなたがこのお父さんの立場だったらどうしますか?
まず、お父さんはロバを売りに市場に行くことになっていました。ロバは商品ですから大切に取り扱わなくてはなりません。だからロバに乗るという行為は商品を傷める可能性があり、市場に着いて元気がなくなっていれば、値段も下がることになります。
お父さんにその認識があれば、村の人に「ロバに乗っていけば良いのに」と言われたとしても、「このロバは大切な商品ですから、乗らないで引いていきます。」と説明すればわかってもらえたでしょう。
それでも、長い道のり、疲れてしまうことはあるでしょう。そういうときにはまず子どもをロバに乗せることによって、子どもを休ませることができ、しかも子どもを乗せたときのロバの疲れ具合を見ることができます。
だからお父さんの友達から「子どもを甘やかしてはいけない」と言われたとしても、子どもを乗せて、ロバの体調をみているところですと答えればいいでしょう。
ロバの体調に変化がなければ、今度はお父さんが乗ってロバの様子を観察してみます。牛飼いのお姉さんに「自分は楽をして、小さい子どもを歩かせるなんてひどい父親だね。」と言われても、「このロバは頑丈で、大人のわたしが乗ってもびくともしません。今それを証明しています。」と答えればいいのです。
最後の牧師さんの提案はナンセンスです。ロバは健康であれば自分の足で歩くのが自然です。棒にくくりつけられ、さかさまにつるされたらパニックになってしまいます。自由になろうとして暴れるのは当然でしょう。
だから牧師さんの提案には、「そうですね。二人で乗るといくら頑丈な私のロバでも疲れてしまいます。もうすぐ市場につきますから二人とも下りてロバは引いていきます。」とでも答えればいいでしょう。
そうすると最初の思惑通りに、市場でロバを売ってお金を手に入れて、親子で幸せな家路につくことができたのではないでしょうか。
自分の考え方や行動に自信が持てないと、人は他人の不用意なアドバイスでも簡単にを受け入れてしまうようですね。
平成23年3月11日午後2時46分、午後の診療を始めるための準備をしていたとき、突然診察室が大きく揺れ始めた。受付にいた職員の悲鳴が聞こえ、部屋中でがたがたと物が音を立て、ドアの軋む音がして、診察室に置いてあった熱帯魚の水槽の水が大きく揺れてあふれ、机の上が水浸しになった。
「地震だ!」と思って待合室に行くと、すでに診察の順番を待ってソファーに数人の患者さんが居たのだが、みんな凍りついたように座ったままで、一言も言葉を口にすることができなかった。天井の照明は大きく揺れていたが、幸い物が落ちたりする様子もなかった。
待合室にも熱帯魚の水槽が置いてあり、これも大きく揺れて水がこぼれていたが、転倒しないようにと、揺れがおさまるまで支えるのが精一杯だった。
職員はすぐ入り口の扉と非常口の扉を開け、いつでも外に出られるようにして様子を見ていたが、揺れがいつまでもおさまらずゆっくりとした横揺れがかなり長い間続いた。
そしていったんおさまったかに見えたが、すぐにまたゆれ始め、おさまる気配がなく次第に恐怖感が大きくなって外を見ると、道を歩いていた人はしゃがみこみ、お店の人は外に出て辺りを見回し、電柱や電線も波打つように揺れていた。
それでもようやく揺れがおさまり、急いでテレビをつけて情報を得ようと見ているとどこのテレビ局も混乱していたのか、「今地震がありました。詳しいことは情報が入り次第お伝えします。」と決まり文句を云って、何が起こったのかわからないといった状態であった。
それからしばらくして、東北地方の太平洋沿岸、福島県、茨城県、千葉県にいたる広範な地域にわたる被害状況が報告され、三陸沖を震源とするマグニチュード9の、史上まれにみる巨大地震であったことがわかった。
その巨大地震によって引き起こされた巨大な津波。そしてその津波によって押し流された三陸から福島県地方の沿岸地域の損壊、さらに東京電力福島第一原子力発電所の損壊によって引き起こされた、広範囲にわたる放射能汚染。この三つの災いが同時に起こり、日本国中に戦慄が走った。
時間がたつにつれて被害状況が明確になってくると、これは現実なのか、悪い夢ではないのか、本当に現実に起こったことなのかと、しばらくの間とても信じられなかった。
まるでギリシャ神話の『パンドラの箱』を開けてしまったかのように、いろいろな災いが次から次へと報道され、しかもその災いはいまだ進行中であり、いつ終息するかもはっきりせず、とめどなく続いている現実がある。
小泉純一郎元総理の『人生にはいろいろな坂がある。上り坂もあれば下り坂もある。でも一番気をつけなければならないのは、まさかという坂である。』という言葉を思い出した。
まさに今回のことは、そのまさかという坂であろう。こんなことが起きるなんで誰も予想しなかったことであり、誰しもまさかと思ったことだろう。
この防潮堤を超える津波はないと思われて威容を誇っていた防潮堤が、あっさりと超えられてしまい、津波は町全体を押しつぶしながら、海岸線から十数キロメートル内陸まで、押し寄せてしまった。これもまさかであった。
そして、地震の規模を示すマグニチュードは当初8.8と云われていたが、9.0と上方修正された。これも観測史上4番目という想定外の大きさであった。このような強い地震が起こるとは誰も思ってもみなかったことだろう。これもまさかである。
それに、東京電力福島第一原子力発電所の損壊による放射能汚染である。これも東京電力や政府の、原子力発電所はクリーンで安全であるという従来からの見解に、とんでもないことだと強い不信の念を感じた。このような大きな地震や津波は想定されていなかったという。危機管理という面で今後もちゃんとした安全対策が望まれる。
そして事故の処理に数カ月から年単位の時間がかかるということが分かり、人々の間に慢性のストレス状態を引き起こしている。これも初めての経験であり、まさかである。
『パンドラの箱』からは、ありとあらゆる災いが人間世界に飛び出していったが、最後に「希望」が残っていた。わたしたちはこの希望をもって震災の復興に当たらなければならない。世界中の人々が応援してくれている。わたしたちも今できることを考え、思いついたことは実行して、少しでも早く復興しなければならない。
一人ひとりの力は微々たるものかもしれないが、たくさん集まると大きな力、大きな希望になっていくだろう。今だけでなくこれからもずっと、復興したとみんなが思えるまで、息の長い支援を続けなければならないと思う。
]]>カーネル・サンダースの「カーネル」は軍隊で大佐を意味するcolonelのことではなく、ケンタッキー州に対して貢献をした人に贈られる名誉称号のことである。彼は45歳のとき、ケンタッキー州知事から「カーネル」称号を贈られている。
彼は6歳のとき父親を亡くし、生計を立てるために母親が働きに出ると、幼い弟や妹の面倒を見なければならなくなり、そのためパンを焼いたり調理をすることに興味を持つようになる。そして彼は自分の作ったパンや料理が喜ばれることに喜びを感じるようになった。
家計を助けるために10歳で農場で働くことになり、学校にも行けず、小学校を出た後は独学で勉強しなければならなかった。15歳のとき母親の再婚相手とうまくいかず家を出ることになり、その後さまざまな職業を転々とすることになる。
40歳になり、ケンタッキー州コービンでガソリンスタンドを経営するようになったが、もともと料理が好きであった彼は、隣接する物置を改築して小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開店した。
ここで出される料理がおいしいという評判が広がり、次第に有名になっていく。特に11種のスパイスと圧力鍋を使って調理したフライドチキンは評判になり、来客が列をなしたという。
その後もさまざまな困難に遭遇するが、働き者の彼はめげることなく20年以上働き続けた。しかし、近くをハイウェイが通るようになってから、車の流れが変わり、客足が減って店を維持できなくなり、手放すことになってしまう。
60歳を過ぎたカーネルにとって、自慢のフライドチキンを食べてもらう店はなくなったが、秘伝のレシピがあれば、他の店でこれを作ってもらい、同じ味のフライドチキンをお客に食べてもらうことができる。
こう考えたカーネルは、秘伝のスパイスと圧力鍋を車に積んでレストランをまわり試食してもらって、メニューに入れてもらい、フライドチキンが売れるとロイヤリティをもらうというビジネスを思いついた。いまでいうフランチャイズ契約である。
すでに年金世代の年齢になっていたにもかかわらず、車で各地のレストランを回り、飛込みで営業をかけ、73歳の時には契約件数は600件を超え、90歳で亡くなったときには世界48ヶ国、6000店舗になっていたという。
カーネル・サンダース。決して恵まれていたとはいえない幼少期からいろんな職業を転々として65歳で起業し、わずか8年でケンタッキー・フライドチキンという大企業を創り上げた人物である。
彼の言葉はとても説得力がある。いくつか紹介しよう。
「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになることのほうがずっと多い。」
世の中には働きすぎてだめになる人も勿論いるが、それらの人々の数よりもっと多くの人が、休みすぎて体力や精神力がサビついてしまい、だめになっているのではないかというのである。
カーネルは小さい時から働き始め、特に人に喜んでもらうことを自分の喜びとした。彼は自分が経営するガソリンスタンドのサービスとして、車の窓ふきを始めた最初の人だという。
「人生は自分でつくるもの。遅いということはない。」
カーネルは65歳で起業して成功した人である。
だからこの言葉は説得力がある。
「いくつになっても、自分の人生をより価値のあるものにするために努力をするべきだ。何の問題も起こらない人生が、すばらしい人生であるわけはないのだから。」
自分はもう歳だからと、何もする前からあきらめてしまう人は多い。何かを始めれば、うまくいくときとうまくいかないときがある。うまくいったときはそれを楽しめばいい。うまくいかなかったら、どうしたらうまくいくのか考えてまたチャレンジしてみる。そしてこの繰り返しが人生なのであろう。
人生は問題だらけである。何の問題も起こらない人生などあり得ない。問題にチャレンジし続けることが、自分の人生をより価値のあるものにするのである。
「The easy way becomes harder and the hard way becomes easier」これは彼の口癖だったそうである。自分なりに訳して味わってほしい。
一年の計は初春の1月にあり(陰暦では1月2月3月は春)、一月の計は朔(陰暦のついたち)にあり、一日の計は鶏鳴(一番鶏が鳴く早朝)にありという。だから一年の計は元旦にあり、一月の計は一日(ついたち)にあり、一日の計は早朝にあるということになる。
何事にも遅れをとっていたら生き延びることができない、戦国武将の厳しさを現わした言葉である。しかしこれは戦国時代に限らず、いつの時代にも大切な心得である。
人は何かを始めるときどうしても躊躇することがある。うまくいかなかったらどうしよう、失敗したら立ち直れないかもしれない。でも今のままではどうにもならない。やるしかないのだが、最初の一歩がなかなか踏み出せない。あせればあせるほど身動きがとれなくなる。膠着した気持ちのまま時間だけがむなしく過ぎていく。
多くの人はこのような経験をしたことがあるのではないだろうか。いま実際にそういった状況にある人もいるかもしれない。わたしも学生の頃、試験前になるといつも一夜漬けであった。なんでもっと早く始めておかなかったのかといつも後悔ばかりしていた。
確かに早く始めた方が、行動するための時間的な余裕があり、迷った時も落ち着いて判断することができ、物事を成功に導く確率は高くなる。そんなことは言われなくても分かっていると言われそうだが、でもどうやったらそのような自分になれるのか。
ある健康に関する講演会で、食生活や日頃の運動がとても大切であると教わった聴衆の一人が、講演会が終わった直後、会場の通路にうつ伏せになり、いきなり腕立て伏せを始めたという。
講演会に参加した聴衆の多くは、講演内容に感動して、家に帰ったらすぐにも教わった事を実践しようとおもうだろう。でもその感動の気持ちは、家に近づくにつれて冷めてくる。
家に帰ると明日から始めようと思い、明日になるとふだんの雑用にかまけて、また先に延ばすようになり、それを繰り返して、結局何もしないまま講演会で学んだことは消えてしまうのである。
感動や記憶は時間とともに薄らいでいくものである。だから感動を受けて記憶したことは、その感動を色あせさせないためにも、その場で腕立て伏せを始めた人のように、その内容をすぐに実行にうつして記憶にとどめることである。
何かを始めるとき最初が肝心といわれても、その最初の一歩がなかなか始められないものである。その一歩が千里もあるのではないかとさえ思えてしまう。
話は変わるが、入社試験のときなどに、内田・クレペリン連続加算テストを受けたことがある人もいると思う。これを開発したエミール・クレペリンは、ドイツの有名な精神科医であり、早発性痴呆と躁うつ病の疾患単位を確立して、精神疾患の分類を行った、近代精神医学の草分け的存在である。
このテストのやり方についての説明は省くが、目的は注意力や作業への順応性、作業に対する疲労度などを調べて、被検者の性格特徴を探ろうとするものである。
テストの結果を分析していく中で見えてきたことは、同じ作業を繰り返しているのであるから、時間とともに疲労などにより、作業効率が下がってしまうのではないかと予想されたにも関わらず、作業後半の疲れが出ているときの方が、かえって作業効率が高くなっていることが多くの人で見出された。
これは被検者の性格特徴もさることながら、これとは別に、人にはそういった精神機能があるのではないかと推測され、これを作業興奮という言葉で表現した。脳科学が進歩してきた現代では、その中枢が脳の側坐核という部位であることが分かっている。
つまり何かを始めると、最初は戸惑いや不適応があるかもしれないが、繰り返しやっているとそのことに順応して、その作業をうまくこなせるようになるということである。
やる気が起きない時、とにかく何かを始めてしまえば、最初は順応出来なくても、やり続けていると、しだいにやる気が出てきて思いの外出来てしまい、気がついたときには終わっていたということもある。
「やってみなはれ」と松下幸之助さんはいう。やってみなければ出来るかどうかわからない。やり始めたらそのことに順応するまで止めないことである。順応出来ればさらに意欲が出てくるのである。楽しくなるのである。「継続は力なり」ともいう。
12月25日はイエス・キリストの降誕日とされ、世界中のキリスト教圏の国々では、イエス・キリストの生誕を祝して様々な行事が行われる。
ただ新約聖書には、イエスの生誕に関する記述はあっても生誕日については記載がない。だから12月25日はイエスの誕生日ではなく、後世の宗教指導者たちがイエスの降誕を祝うための祝日として定めたものである。
キリスト教では教会歴という暦を使う。教会歴の1日は日没から始まり、翌日の日没で終わるため、25日は24日の日没から25日の日没までということになり、24日の日没以降がクリスマス・イブということになる。だから24日の日中はクリスマス・イブとは言わない。
日本でもこの時期にキリスト教の教会に行くと、クリスチャンではなくても受け入れてくれて、ミサや礼拝に参加することができ、教会におけるクリスマスの特別な雰囲気を味わうことができる。
クリスマスの「クリス」は“Christ”すなわちキリストを指し「マス」は“Mass”すなわちミサ(礼拝の儀式)のことである。だからクリスマスは「キリストのミサ」ということになる。
わたしも中学生のとき、ミッションスクールに通っていた姉に連れられて、ルーテル教会のクリスマスの礼拝に参加したことがある。キャンドルサービスといってローソクに火を点し、賛美歌を歌いながら、牧師さまと一緒に、病気などで教会に来ることのできない信者の方のお宅を回ったものである。クリスマスらしい雰囲気がありとても感動したことを憶えている。
わたしはクリスチャンではないし、洗礼を受けたこともない。しかし、聖書にはずっと興味を持っていたし、いまでも関心を持っている。
聖書から様々な教訓を学びとることで、いままで疑問に思っていた事柄に対して、少しずつ答えを見出している気がする。
ご承知のように聖書には旧約聖書と新約聖書がある。旧約聖書はユダヤ教の経典でもあるが、新約聖書はイエス・キリストの言動を弟子たちが記した文書を集めたものであり、ユダヤ教では認められていない。
いまわたしたちが手にしている聖書が出来上がるまで、相当の年月がかかっており、聖書を編纂した先人たちは、数ある文書群の中から聖書としてふさわしいものを選び出し、長年にわたる推敲の結果、選定作業が行われ、現在のかたちになったものである。
新約聖書の冒頭にあるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書には、イエスの言動がカギ括弧付きでそのまま記載されている。そしてイエスの誕生については「マタイによる福音書」の第一章と第二章に詳しく述べられている。
最後にイエスの言動で興味があるところを二つ紹介したい。
一つは「マタイによる福音書」第二十一章(18節〜19節)で、「朝早く都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当たらなかった。そこでその木にむかって、『今から後いつまでも、おまえには実がならないように』と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。」という。
イエスはお腹がすいていて、空腹を満たしたかった。そのときいちじくの木が目に入って、その実を食べようとしたら一つも実がなっていなかった。するとそれが悔しかったイエスは腹たちまぎれに、いちじくに呪いをかけてしまったのである。これはイエスがきわめて人間的な感情をもっていた証拠である。
もう一つは「ヨハネによる福音書」第八章で、「…律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。…イエスは身を起こして彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のないものが、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
…これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。…イエスは言われた。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。…」
石を投げてはならないといえば、モーゼの律法に反してしまい、訴えられる口実となる。かといって石を投げろといえば、愛を唱えているイエスとしては弟子たちに批判されてしまう。そこで思いついたのが「罪のないものがまず石を投げなさい」といった言葉である。
世の中に罪を犯していない人などいないものであるから、そこをつけば誰も石を投げることはできないだろうとふんだのである。すばらしい戦略であると思う。
]]>
こころの病気は身体の病気と違ってお薬だけで治るものではありません。でも薬物療法は極めて効果的で大切な治療法の一つですから、自分に合った薬を選ぶことはとても大切なことです。
お薬の効果は飲んだ人にしか分かりませんから、薬が効いたか効かなかったかは患者さんに聞いてみるしかないのです。そして薬のもたらす効果と副作用の様子から、その薬を継続すべきか、変えるべきかを判断します。
効果はあるけれど副作用がきついという場合には、効果の方を重視するならば、副作用はある程度我慢してもらうしかないのです。
しかし副作用が我慢できないということであれば、薬を変えてより副作用の少ない薬を検討します。どちらを選ぶかは患者さんと相談して決めていきます。
ただし、抗不安薬は飲んですぐ効果が現れますが、抗うつ剤は効果が現れるまで3週間ほどかかる場合があります。そして効果が表れてもそれで治ったわけではないのです。
多くの場合、効果があったと思える時と、いつもと同じように飲んでいても全く効果がみられない場合があります。何故そういうことが起こるのでしょうか。
それは抗不安薬や抗うつ剤は、病気の原因を直接治す力はないからなのです。原因に直接作用してその原因を取り除ける薬であれば、薬が効いて症状がなくなったときにはすでに原因が除去されているわけですから、二度と症状は出ないはずです。
治療法には原因療法と対症療法があります。原因療法は病気の原因を取り除く治療法で、たとえば、細菌による感染症には細菌を殺してしまう抗生物質を服用すれば、細菌が死んでしまうので、原因がなくなってしまい病気が治ってしまいます。
しかし、高血圧症や高脂血症、糖尿病などの慢性疾患は、原因を取り除く治療法が確立していないため、症状を改善してコントロールするしか方法がありません。これらの症状に対して治療する治療法を対症療法といいます。
そしてこころに作用する薬はすべて、こころの病気の原因に直接作用することはなく、症状に対して効果をもたらす、いわゆる対症療法といわれる治療法のお薬なのです。
薬で治療していても原因が取り除けないなら、一生薬を飲み続けなければならないのかという疑問が湧いてくると思いますが、そういうことはありません。
薬物療法を継続していると症状が軽くなって気持ちが楽になりますので、その状態を続けていると、それがこころの習慣になってしまい、そのいい状態が長く続けば薬を少しずつ減らしていくことができるようになり、ある程度の期間安定した状態が続けば、最終的には薬を止めるところまでもっていくことができるのです。
治り方も特徴があり、毎日毎日、薄紙をはがすように、少しずつ確実に良くなっていくような治り方と違って、良くなったり悪くなったりを繰り返すのですが、じっと耐えて飲み続けていると、だんだんと良い時が増えて、悪い時が減ってくるといった治り方をします。
こころの病気の原因はとても複雑です。内因性といってまだ原因がよく分からないもの、外因性といって原因が自分の外側にあるもの、心因性といって原因が自分のこころに内在しているものなどに分けられますが、多くの場合その3つの要因はすべて関係していて、どれが原因と決めつけることはできません。
原因をつかむことで病気の治療が早く進むと考えることは正しいのですが、原因が見つかったとしてもそれを取り除くことはなかなか難しい場合が多いようです。
原因が何であれこころが病んでいる状態を早く改善することが大切です。それには薬物療法が一番効果的です。原因はつかめなくても症状は改善します。
治療を続けていくと薬物療法が効果をもたらし、症状が改善してこころにゆとりが出てきます。そして何故自分はこのような病気になったんだろうかという疑問が生じてきます。
ここで過去の自分を反省したり分析したりしていると再び不安が襲ってきたり、気持ちが落ち込んだりして症状が再燃してきます。
過去はもう戻ってきませんし、過去に戻ってやり直すことはできないので、反省するのではなく、これから再びこのようなこころの病気にならないためにはどうしたらいいかを検討します。
自分が抱えている問題点をひとつひとつ明確にして、どうしたらうまくいくようになるのか、ひとつひとつ検討していかなければなりません。
これは治療というより、新しい生き方や考え方を学習するということになります。時間はかかりますが必ず成長があり、新しい自分になっていくことができるのです。
わたしたちは日常の生活の中で、いまの自分の生活に満足している人はほとんどいないのではないかと思う。何とか今の自分を変えたい、将来の自分を変えてみたいと願う人がほとんどではないだろうか。
そうはいっても現実問題として、どのように自分を変えてみたいのかと問うとはっきり答えられない人がほとんどである。自分をどのように変えたいのかという具体的なビジョンというものを持っていない。さらに自分を変えるための具体的な方法や手段がわからないのである。
変わらなくてはいけない、何とかしなければと焦ってはみるものの、具体的に行動に移さなければ変化は起こらず、当然のことながらいつまで経ってもいまの現実がそのまま続いてしまう。そうなるとさらに焦ることになり、ストレスがたまり精神的に不安定になってしまう。
すると精神的に不安定になるよりは、変わらなくてもいまの現実を受け入れてしまったほうが精神的に安心できると思うので、結果的に何もしない、何もできない、現状維持ということで終わってしまう。
今の自分を変えるためには考え方を変える必要がある。しかし、考え方を変えるというと不安になる人がいるので、新しい考え方を導入する、今までの自分になかった考え方を、自分のこころに追加してみると考えると、不安にならなくて済むのではないか。
今までの自分はそのまま持っていても、新しい自分を創っていくことに何ら矛盾はない。何故なら、いままでの自分を壊してしまって、新たな自分を再構築するのではなく、いままでの自分とは無関係に、新しい考え方を自分に付け加えていくからである。そうすれば、自分の可能性をどんどん増やすことができる。限度はないのである。
人は生きているだけでいろんな体験や経験をするものである。自分の気持ちとは無関係に、自分の身の回りで勝手にいろんなことが起こってしまい、対処せざるを得なくなる。そして対処することの経験を積み重ねることで、自分を創りだしているのである。
この身の回りで起こった様々な体験や経験を、いままでの自分のやり方とは全く違う新しいやり方で積み重ねていけば、新たな自分の意思に沿った、新しい自分を創り上げていくことができるのである。
それでは新しい自分を創るためにはいったいどうしたらいいのだろうか。
人にはいろんな考え方があり、思考のパターンも様々である。体験や経験に対する反応の仕方にも個人差があり一概には言えないが、共通していえることはいままでとはまったく逆の選択をしてみるということである。しかもこころを快適に変えるためには、ポジティブな選択をすることである。いままで「NO」といっていたことに対して「YES」といってみるのである。
いままでの自分と違う選択をするとなると、どうしても心に抵抗が生じてくる。それはおかしい、受け入れられない、という気持ちが起きるのは当然である。そして受け入れるとしたら、それを納得するための根拠を求めようとするのがふつうの流れである。
しかし、そのようなこころの反応はストレスを生じて不快感を覚え、新しい自分を創造する足を引っ張ることになる。ここで悩み、思考が止ってしまうと、結局はもとの自分に戻ってしまうのである。
自分を変えたいと思うのなら、何の根拠もなくそうすべきである。そうしないと変わらないのである。いちいち変わるための理由や言い訳を考えていると物事が進まなくなる。
セオドア・ルーズベルトは「『できるか』と聞かれたらいつでも『もちろん』と返事することだ。それから懸命にやり方を見つければよい。」と言っている。
人は人生のいろいろな場面で選択を迫られるものである。なかなか決められなくて立ち往生することもあるだろうが、決断しなければ前に進めないのである。
決断した結果がうまくいかなければ、ダメージが小さいうちに、早急に次の決断をしなければならないのである。ヘンリー・フォードは「失敗とは、よりよい方法で再挑戦するいい機会である。」と言っている。
人生は選択して決断することのくり返しである。この回数が多ければ多いほどその人に生きていくための知恵や能力が付いてくるのである。
「これこれ一休殿、最近お城にある屏風の虎が、夜な夜な屏風から抜け出し、暴れ回って困っておる。何とかしてこの虎を退治してはくれまいか。」
屏風の虎が抜け出して暴れるなどあり得ないのだが、あえてそういって一休さんがどんな知恵を出すのかを試そうとしたのである。
一休さんは少しもあわてず、「分かりました。おまかせください。」といって、御家来衆に「頑丈な縄を用意してください。」と頼み、屏風のところに行くと、さすがに名のある絵かきの作品なのだろう、いまにも飛びかかってきそうな威厳をもった虎が描かれていた。
一休さんはねじりはちまきにたすきをかけ、縄をしっかりと持つと、「さあ、お殿様虎を屏風から追い出してください。見事、捕まえて縛り上げて御覧に入れます。」といって、いつ虎が出てきてもいいように構えてみせた。
するとお殿様は自分でいったことも忘れて、あわてて一休さんにこういった。「何をいうのだ、屏風の中の絵に描いた虎を、追い出せるわけがないだろう。」
すると一休さんはにっこり笑って「虎が屏風から出てこなければ、いくらわたしでも捕えることも、縛り上げることもできません。」と答えたという。
これを聞いたお殿様は、さすがは一休さんだ、また一本取られたと苦笑いしたというお話。
この話は、禅のこころをうまく表現している。わたしたちは日常生活の中でこれと同じことをやっていることが多い。まだ結果が出る前から、うまくいかなかったらどうしようと気を揉んでしまう。悪い結果を予想してしまう。そうすると悪い結果が起こる確率が高くなる。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句がある。怖いと思っていると何でも怖いものに思えてくる。怖いとまではいかなくても、取り越し苦労をして悪い結果を予想することは多いものである。
屏風から虎が出てくることは、あり得ないことと重々分かっている。それでも出てきたらどうしようとあわててしまう。冷静に考えればすぐにわかることであるが、不安が先行していると、見えないものが見えてくる。聞こえないものが聞こえてくる。取り越し苦労であることは承知していても、当人にとっては辛い現実として実感される。
ある時、悩みを抱えて困り果てた檀家の人が、お寺の住職に相談に行った。悩み事を延々と話し続けるが、住職は話を中断しないで、黙って最後まで聞いてからおもむろにいった。「いまあなたがいった悩みを全部ここに出してみせなさい。わたしがそれらを木っ端微塵にたたき潰してあげよう。さあここに出してみせなさい。」
相談にいった檀家の人はあっけにとられて、「そういわれても悩みはこころの中にあるもので、ここにもそこにも出せるというものではございません。」と答えると、住職は「そうかそうか、あなたの悩みは絵に描いた虎のようなものだな。いくら虎が怖そうに思えても、絵に描いた虎が飛び出してあなたを食い殺すことがないように、あなたの悩みもあなたから飛び出してあなたに被害をもたらすことはない。あなたの悩みはあなたがこころに描いた虎の絵のようなもので、現実には起こりようがないものだよ。」といったという。
「屏風の虎」の話では、檀家の人はお殿様にたとえられ、住職は一休さんにたとえられる。
かって1999年の7月に地球が滅亡するというノストラダムスの予言があった。信じた人も多いことだろう。しかし地球は滅亡することもなく、わたしたちはいまでも生きている。そしていまマヤ文明の暦から、2012年に人類が滅亡するという終末論もささやかれている。本当だろうか?
終末論の起源は聖書にある「ヨハネの黙示録」が一番古いものである。いままでにもたくさんの終末論があったが、どれも実現していない。わたしたちが不安を覚えるのは、わたしたちのこころに「取り越し苦労」という心理機制があるために、不安を先取りして心配してしまうからである。
「恐怖は常に、無知から生まれる。」とエマーソンはいう。知らないということが不安を招き、恐怖心をあおるのである。そしてチャーチルは「未来のことなど分からない。しかし我々には、必ず過去が希望を与えてくれるはずである。」という。
将来のことは誰にもわからないが、過去に困難を乗り越えた経験があれば、未来の困難もきっと乗り越えることができるのである。
やる気を起こす基本は何か。それは誰の心の中にもある何かをしたいという自然な欲求を、我慢したり抑えたりしないで、常日頃から大切にすることである。
何かをやりたいと思ったら、それがうまくいくかどうか分からなくても、とにかく始めてみることである。やりたいという欲求を満たしてあげることである。やりたいという欲求を押さえつけてはいけない。我慢してはいけないのである。この時点では結果のことは考えなくていい。心の中に生じた欲求を外に向かって発露することが一番大切なことなのだ。
もちろんやりたいことが法律に反することであったり、倫理に反することであったり、人の嫌がることや迷惑になるようなことであってはならないが、それ以外のことならば何をやっても自由なのである。
多くの場合何かを始めるときに、人はその結末を予測する。それは当然なことである。そして楽天的に考える人は自分に都合のいい結末を予測するが、悲観的に考える人は、自分に都合の悪い結果に終わるのではないかと考えてしまう傾向にある。
そして悲観的な人は、自分に都合の悪い結果が出ることが怖いので、行動を起こすことを躊躇する。だから悲観的に考える人はよけいやる気が育たないのである。
どんな人にとっても先のことは分からない。予測したり想像したりすることはできても、確実に期待どおりの結果が得られるとは限らないのである。それでも何かを始めなければ成功も失敗もないのであるから、とりあえず始めてみるしかないのである。
もしその結果がうまくいかなかったら次の対策を立てる。成功するための別の方策を検討するのである。そして新しいプランで再度やってみることである。
これは何回繰り返してもかまわない。制限はないのである。むしろ何回も繰り返すことによって、小さかったやる気が大きく成長するのである。なぜなら何回も繰り返すことによって、やる気をくり返し学習したことになり、やる気が大きく成長することになるからである。
やろうとしたことがうまくいかなくても、費やした時間と労力が無駄になることはない。うまくいかないことがわかれば、それも一つの成果なのである。その成果をもとに新しいプランを立てて、再度挑戦することができるのである。つまりその方法ではうまくいかないことがわかったという成果が出たのである。
何かをしようとするとき、どうしても抵抗感があることがある。嫌だなという思いが先行してしまうと、やらなくても良いための理由を考える。「明日やればいいや、今は必要ないことだ。」と決めつける。「今やる理由はない。」などと、やらないでいる自分を正当化する。
それはそれで、その場のストレスを回避したという意味では結構なことなのだが、そういう考え方をしてしまうと、やろうとする気持ちを自分自身で押さえ込んでしまったことになる。これではやる気が育たない。やる気を育てるためには、思いついたらやらない理由を考え付く前に実行に移し、行動を起こすことである。
わたしたちの脳は学習する能力を持っている。学習するということは、脳の記憶回路に電気を流すことによって、その回路に記憶の痕跡を残す作業である。脳の記憶回路に電気を流す回数が多くなればなるほど、記憶の回路は大きく、太く成長する。するとますますその回路に電気が流れやすくなるのである。
これはどういうことかというと、やる気という情報を受け持つ回路に電気を流し続けると、やる気という思いが大きく、太くなるということである。最初は小さなやる気でも、それをくり返し感じて思い続ければ、だんだんと大きなやる気がこころに現れるということである。
そしてやらないで済まそうという考えを持っていると、その回路が働き始め、さらにいつもやらないで回避することを繰り返していると、その回路が大きく太く成長して、やらないで済ませる考え方がこころに定着してしまう。
「やる気を出すようにいつも努力はしているのですが、どうしてもやる気が出ないんです。」という人がいる。努力してもやる気が出なければ、その努力のしかたが間違っているに違いない。脳の特性を理解して、その仕組みにあった努力のしかたをしなければ成果は期待できないだろう。
やる気を育てるためには、日常生活の中のささいなやる気に気がつくこと、それを結果を気にしないで実行にうつし、結果はどうであれ成果を出すこと。そしてそういう体験を数多くこなしていると、しだいにやる気が育っていくのである。
]]>当時、尼子氏とともに中国地方の覇権を争っていたのは毛利氏であり、たび重なる合戦の結果、毛利元就の軍勢は尼子義久の居城である月山富田城を攻め落とし、ここに尼子氏は毛利氏の軍門に下ることになる。義久は幽閉の身となって、戦国大名としての尼子家は一旦途絶えてしまう。
しかし忠誠心に厚い鹿之助は、尼子家再興のために獅子奮迅の働きをして、一時的に再興を果たすが、長くは続かず戦いに敗れてしまう。二度目も失敗に終わり、三度目の再興を果たすための合戦の中、毛利軍に攻められ敗退して捕えられる。そして毛利輝元のもとに護送される途中、殺害されてしまうのである。鹿之助は武将としての価値を高く評価されていたため、このまま生かしておいたら何をやらかすか分からないという恐れが毛利側にあったのだろう。
子供の頃から尼子氏に仕えていた鹿之助は、主君に忠誠を誓うというより、尼子氏という家に対する忠誠心が強かったようである。三度目の再興を果たすときに、担いだ尼子勝久は毛利軍に包囲され自害したが、鹿之助は自分が尼子家を再興するから安心して自害してくれと言ったという。
山中鹿之助、本名は幸盛(ゆきもり)という。彼の人となりは一考に値するものがある。有名な彼の言葉で、「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと伝えられているが、満月ではなく三日月に祈った理由は、おそらく山中家に代々伝わる甲冑の兜の前立てが三日月であったことによるのではないかとおもわれる。
それはともかく、人が神仏に何かを願うときは、多くの場合自分に利益をもたらすことや苦痛から解放されることを願うものである。家内安全、商売繁盛などと願うのが普通であろう。しかし鹿之助は何故自分に苦痛を与えることを願ったのだろうか。
鹿之助が生きた時代背景もあるが、戦国時代は乱世である。力のあるものだけが生き残り、弱いものは否応なく切り捨てられ、それがあたりまえの厳しい時代であった。だから生き残って自分の思いを実現させるためには、才覚、英知、腕力など様々な力が必要であった。
それらの力を手に入れるためには、尋常な手段や、やわな気持ちでは到底身につけることが出来ない。質実剛健は武士の基本であるが、それだけでは他の武士と同じである。それ以上の力が必要なのである。
それではどうしたらいいのか。どのような戦も思うように展開しないことがある。むしろそのほうが多いのではないか。正攻法だけでなく奇襲攻撃やゲリラ戦も必要である。だから、どんな困難にも耐えうる能力が必要であり、それを得るためにはとてもできそうにないような困難な状況を克服しなければならない。
鹿之助はどのような困難も乗り越え、耐えうる力を身につけるために、あえて困難な状況に身を置いて、自分の精神と肉体を鍛えようとしたのである。それが七難八苦を与えたまえと祈った所以なのである。
鹿之助は一度目の再興に失敗して、毛利軍に囚われの身となるが、腹痛を訴え何度も厠へ行き、頃合を見計らい、監視の目を盗んで糞尿壺に潜み、糞尿まみれになりながら汲み取り口から脱走したという。何としても生き延びて、尼子氏再興を成就させたいという鹿之助の、凄まじい執念のようなものを感じさせるエピソードである。
若い人には少し説明が必要と思うが、昔は今と違って水洗トイレはない。排便、排尿したものはそのまま糞尿を貯める大きな壺にためておく。いっぱいになったら汲み取り口から柄杓で汲み出して、畑の肥溜めに貯めておく。そしてある程度発酵したら畑に撒いて肥料とするのである。
人が成長して能力を高めるためには、すでに出来てしまっていることをしても能力は高まらない。今までに出来なかったことを成し遂げてはじめて、いままで持っていなかった新しい能力が身につくのである。
それは初めてすることなので対処法が分からない。既存のノウハウが無いのであるから、思考錯誤の中で失敗を繰り返しながら、新しいノウハウを身につけていくしかないのである。そこで命を落とすこともあるだろう。しかしそれを乗り越えれば素晴らしい能力を手にすることが出来るのである。
『憂きことの なおこの上に積もれかし 限りある身の力試さん』
これは、もっとも鹿之助らしさを表現している力強い句である。いまも辛いことや苦しいことはいっぱい抱えているが、さらにもっと増やしてくれ、生きている限りどこまでやれるか、自分の力の限界を試したいのだと、鹿之助の雄叫びが聞こえてくるようである。
]]>この中で彼は、交渉人として絶対に使ってはいけない言葉をおしえてくれる。それは否定的な言葉や、少しでも否定を意味する言葉は絶対に使ってはならないということと、犯人の要求することを批判したり、分析したり、わずかでも拒否してはならないということである。
犯人はいら立っており、ほんの一部分でも拒否や否定の言葉を発すると、犯人は自分の要求のすべてが否定されたと思い込み、激高して感情的な行動を取ってしまう。すると人質が殺害される危険性が大きくなるという。
交渉人の仕事は人質を安全に救出することと、犯人を無事に逮捕することであるが、言葉の上では、犯人を安全に解放するという表現に変えて伝えるのである。
社会生活をしていく中で、人と人が交渉する場面は避けて通れない。交渉という言葉は相手を説得する手段として考えられやすいが、そうではなく交渉はお互いの言い分を通すための具体的な話し合いなのである。
一方的な説得は、説得される側が相手に負かされてしまったという気持ちになりやすいため、その場では説得されてもあとで気持ちが変わり、決裂してしまうことがある。
交渉するということは、譲歩できる部分と譲歩できない部分に分けて、譲歩できない部分を取り上げ、これに対してお互いが新たな提案を出し合いながら、譲歩できる部分に変えていく作業なのである。
交渉のためのノウハウを交渉術といい、その能力を交渉力という。交渉は人と人との対話であり、相手から有利な条件を引き出すための心理戦でもある。人の心を読むというと心理学者の仕事と思うかもしれないが、わたしたちも日常生活の中で無意識に行っていることである。
相手と交渉して譲歩を勝ち取る方法に、フット・イン・ザ・ドア・テクニック(段階的要請法)というのがある。これはセールスや営業のテクニックとして使われることがあるが、相手にこちらの要請を受け入れてもらうために、まず小さな要請をしてみる。それくらいの要請ならばのんでもいいと思われることである。
そしてそれを受け入れてもらったら、次に本来の要請をしてみる。人は最初の要請を聞き入れてしまうと、なぜか次の要請を断りづらくなるものである。もし本来の要請が大きすぎると思われる場合、その間にもう一つ小さな要請を入れてもいい。どちらにしろ、最初の要請を軽い気持ちで受け入れてしまうと、次に要請されたとき、最初の要請を承諾したという事実に、気持ちが拘束されてしまうのである。
以前のことだが、おいしい水をいつでも飲めるという浄水器を、設置させて欲しいというセールスマンが来て、「1ヶ月間無料でお使いください。お気に入っていただけましたらご購入していただき、お気に召さなければ引き取ります。もちろん設置料も1ヶ月間の使用料もいただきません」という。
1ヶ月間無料だからと軽い気持ちで承諾すると、きっと断れなくなると思ったのでお断りしたことがあるが、これはフット・イン・ザ・ドア・テクニックのいい例であろう。
これとは対照的なやり方にドア・イン・ザ・フェイス・テクニック(譲歩的要請法)というのがある。これは最初にまず、相手が当然拒否するだろうと思われるような大きな要請をして、それをわざと拒否させておいて、次にそれに比べたら小さなことと思われる本来の要請をすると、承諾を得やすいというものである。
たとえば家電量販店などでお客さんが「もう少し何とかならないか」と値引きを交渉すると、店員は電卓をたたいて、難しい顔をしながら、売り場の責任者と相談するといって、その場を立ち去り、しばらくして戻ってくると「わかりました。ご希望の金額で結構です。」と、いかにもお客さんが得をしたように演出をするが、これは本来店側が予定していた金額なのである。
会社での上司と部下との関係、学校での先生と生徒との関係、家庭での夫婦関係、兄弟、親戚との関係、それに友人関係など、様々な人間関係をうまく支障なく進めるために、交渉力は必要になる。そして、交渉術は単にコミュニケーションをとるというだけでなく、自分の要求と相手の要求をいかに調和させていくか、その中からお互いにとって一番有益な方法は何かを見出していくテクニックなのである。
]]>お釈迦様は紀元前463年、ヒマラヤ山麓にあった小国カビラヴァッツを統治していた釈迦族の王である浄飯王と摩耶夫人との間に生まれた王子であり、名前を「ゴータマ・シッダルタ」という。その誕生については、伝説的な話がある。
摩耶夫人がルンビーニの園で休まれているとき、夫人の右の腋から生まれたお釈迦様は、生まれてすぐに七歩歩いて右手を上げて天を指差し、左手で地を指しながら、『天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当度之』と宣言されたという。
インドにはカーストと呼ばれる身分制度があり、日本の江戸時代の士農工商のようなものであるが、もっと厳格である。さらに人間は神から生まれるという信仰があり、身分によって生まれるところが違うという。
カーストの一番上のブラーマン(代々神に仕える人)は神の頭から生まれ、二番目のクシャトリア(貴族や軍人)は神の腋から、三番目のバイシャ(農工商人)は神の足の股から、四番目のスードラ(奴隷)は神の足首から生まれるという。
お釈迦様はクシャトリアに属していたため、右の腋から生まれたということなのだろう。インドでは左手は不浄の手、右手は清浄な手とされる。また七歩歩いた理由は、六道輪廻から一歩進んでいることを表し、お釈迦様はもう輪廻転生をしないということを表現している。また七は永遠をあらわす数なのだとか。すべてがきわめて象徴的に表現されている。
人は生まれてすぐに歩くことも、しゃべることも出来るわけではないので、この逸話はお釈迦様の偉大さを強調するために、象徴的な物語として後世に作られた話であろう。
ただこの言葉はとても深い意味を持ち、考えさせられるものである。文字どおり解釈すると、「天上界においても、この現世においても、我独りだけが尊い存在である。」「三界すなわち欲界、色界、無色界は皆、苦であり、我がこれを救う。」ということなのだろう。
しかしお釈迦様ほどの偉大な存在であれば、そのように宣言されるとそうなんだと思ってしまう。これを独りよがりの考え方とか、他の人間は虫けら同然だとバカにしているとか思ってしまう人もいるかもしれない。
いろんな解釈があると思うが、どれが正しくてどれが間違っているということはできない。人によって考え方に基準があるからである。自分はこう考えるという自分の価値観に従って解釈すればいいのである。
このこととは別に自分という存在を考えたとき、自分の価値とは、いま自分が生きているということは、どういうことなのだろうと考えたことはあるだろうか。
お釈迦様ほどではないにしても、自分を尊い存在と思うことが出来る人はどれくらいいるのだろう。多くの人は自分の価値をそれほど認めていない。自分の価値は世間が決めるものだ。学校の成績や社会的地位、経済的優位性などで決まると思っていないだろうか。
それらは世間の評価基準ではあるかもしれないが、自分自身の絶対的価値ではない。自分自身の絶対的な価値は自分自身で決めるものである。
わたしたちは世間の評価をごく自然に、無批判に受け入れてしまっている。世間の暗示にかかっているといってもよい。その評価は本当に正しいのだろうか。評価の基準が偏っていないかよく考えてみる必要がある。
自分はこの世にひとりしかいない。あたりまえのことである。人は自分の五感をとおして外界を感知する。他の人の五感をとおして外界を知ることはできない。これも当然のことである。
何をいいたいかというと、すべての人は自分をとおしてしか世の中を知ることが出来ないということである。だから自分が死んでしまえば、世の中はなくなってしまうのである。つまり、自分次第で世の中はあったりなかったりする。
もちろん、客観的事実として考えるならば、自分が死んだあとも世の中はいつもと変わりなく存在しているだろう。しかし、同時に自分が死んでしまったら、自分にとっての世の中は存在しないのである。これは矛盾しているが、両方とも正しいのである。
ということは、この世界は自分ひとりのために存在すると思っていい。自分がこの世の中の主役なのである。他の人々は自分にとっての脇役にすぎないのである。そのように考えると、「唯我独尊」という言葉が意味を持ってくる。
わたしたちは誰もが尊い存在である。山本リンダさんの歌「ねらいうち」の歌詞に「この世はわたしのためにある」というのがあった。そう、この世はあなたのためにあるのである。
]]>うつ病の患者さんは、物事の捉え方や感じ方が独特であること、そしてその考え方がその患者さんの心を支配して、患者さんを苦しめていること。しかも患者さん自身がそのことに気づいていないこと。たとえそれに気づいていても、考え方を変えられないことである。
認知療法ではこの独特の考え方を認知のゆがみという。ゆがみという表現はあまり適切ではないと思うが、この特徴的な考え方をする人は、たとえばオリンピックでは金メダルを取らなければ意味がない、大会では優勝しなければ、2位もビリもいっしょであるなどと、両極端な考え方をする人、航空機事故のニュース映像を見て、自分が飛行機に乗ると墜落するのではないかと思う人、反対に良いことがあってもたまたまそうだっただけで、次はきっといやなことが起きると思い込んだり、予測したりする人、周りで悪いことが起きるとすべて自分に責任があると思い込む人、自分は何をやってもダメで能力がないと劣等感にさいなまれるばかりの人、何か一つでもうまくいかないことがあると、もうすべてがダメだと思い込んでしまう人などである。
この認知のゆがみに至った背景は、そのように物事をとらえるような考え方が、小さい時から知らず知らずのうちに身についてしまい、そのことに気がつかず、そのような考え方をくり返して、性格を形成してきたことによるのである。このような考え方の枠組みをスキーマというが、自分で気がつくことはむずかしい。
認知療法では、どんなときに問題が生じるのかをはっきりさせるために、うつ病の患者さん特有の考え方をしたことで、困ったことはなかったかどうか思い出してもらう。そしてそのときの気持ちや行動はどのようなものであったか調べてみる。
さらに、うつ病の患者さん特有の考え方が原因でうまくいかなかったことがあれば、他の考え方や行動に変えることが出来ないか検討する。もし出来るのであれば、試しにやってみる。そしてその新しい考え方や、やり方でうまくいくと感じられるのであれば、そのやり方をくり返し学習する。
これらの一連の過程を時間をかけながら、患者さん自身が治療に参加して、認知療法の意味を理解してもらいながら治療は進んでいく。さらに理解の程度に応じて宿題が出されたりするので、よりよく自分の気持ちが理解できるようになるのである。
人は朝から晩まで、一日中頭の中で何かを考えているものであるが、認知療法では、先ほど述べたスキーマを基盤として、何らかの原因で感情が大きく変化したときなどに、患者さんの頭の中に浮かんでくる考えを自動思考という。
たとえば、会社でささいなミスをしてしまい、上司に叱責されたとする。本来ならばそのようなミスを犯すとは考えられないのだが、現実にやってしまった場合、「こんな単純なミスを犯すとは、自分はいったいどうしたのだろう?」「どうすればいいのだろうか?」「何もわからなくなってしまった。」「こんなことではこれから仕事を続けていくことができないのではないか?」などの考えが脳裏に浮かんでくる。
これらの自動思考は、認知のゆがみととらえられ、治療の対象になるのである。上司は軽い気持ちで叱責したのだが、うつになりやすい性格の人は、極端に反応してしまう。それくらいのことで「仕事が続けられない」と思うのは行き過ぎであり、認知のゆがみと判断される。
認知のゆがみの多くは否定的な内容であり、これらが自動思考というかたちで、四六時中頭の中に浮かんでくると、気持ちは不安定になり、意欲もなくなって、ゆううつな気分がこころを支配してしまう。これらが一時的なものならまだしも、考え方の枠組みすなわちスキーマとして心の中に巣くっていると、考え方を変えない限り、うつ状態は延々と続くことになる。
うつ病の場合だけに限らず、自動思考は誰の心にも見られるものである。この自動思考の内容が否定的なものであれば気持ちは不安定になるし、逆に肯定的なものであれば気持ちは前向きになる。だとするならば、自動思考を意識的に利用すると、自分の気持ちを前向きな、肯定的なものに保つことができるようになる。
人は誰でも、意識して一つの考え方を四六時中くり返していると、はじめは心からその考え方を受け入れることは困難だと思っていても、時間がたつにつれて、その考え方があたりまえのように思えてくるものである。
いまのあなたの心は、いままでのあなたの考え方によってつくりあげられたものである。そして、これからのあなたがどうなっていくのかは、もっぱらこれからのあなたが、どんな考え方をするかによって決まっていくのである。
人間関係の悩みはなぜ生じるのだろうか?
街で通り過ぎる人々どうしの間には人間関係の悩みは生じない。あたりまえのことである。お互いが知らないどうしであり、お互いが無関心であるから、人間関係そのものが生じないのである。しかし人が人と出会い親しい関係になると、お互いの感情がお互いのこころの間を行き来するようになる。ここではじめて人間関係が生まれるのである。
最初のうちは、お互いに相手を好意的にとらえ、優しさや親切心で満たされていて、いい関係である。しかし、時間がたち相手のことがだんだんわかってくると、好意的だった部分が、なぜか否定的な感情にすりかわってしまう。それは違うんじゃないのと、自分の考え方に合わないことが、お互いに相手の中に目立つようになるからである。
それでも、せっかくいい関係を築いたのだから、少々のことは仕方がないと思い我慢をする。そのうちまたいい関係に戻れるのではないかと期待する。しかし時間がたてばたつほどだんだんと気持ちが遠ざかっていく。こんなはずではなかったのにと思う。
最初に出会ったときは、話が合う、共通の趣味がある、好みが似ている、考え方が近い、何よりも生理的にぴったり合うなどと思ったのだろうが、それは間違ってはいない。ただしそれはその人の一部分であり、その人のすべてではないのである。人間である以上、他に違ったところを持っていても当然なのである。そんなことは理屈の上からはよく承知していたつもりでも、期待が裏切られたという感覚は残ってしまう。
人はこころの安らぎを求めるものである。人間関係でも安らげる関係が好ましいのであるが、現実にはそういう関係を持っている人は、はなはだ少ないのではないだろうか。
自分が持っている思いと相手が持っている思いは、当然、重なる部分と重ならない部分がある。重なる部分はそれでいいのだが、重ならない部分に対して、それを受け入れることができるかどうかがポイントとなる。誰でも嫌なことは嫌であるし、相手の中にある自分と重ならない部分については受け入れたくないし、我慢もしたくない。
それではいったいどうしたらいいのだろうか?
相手の持っているすべて、自分と重なる部分と重ならない部分と、いっさいがっさいを含めて、すべてを受け入れることができるだけの度量を持った人なら問題はない。そんな人はめったにいないものであるが、それが出来なくても対処法はある。
それが出来ない人の考え方として、受け入れられない部分は受け入れない、受け入れられる部分だけ受け入れることにすれば、問題は解決する。この際、受け入れられない部分についてはコメントしないことである。その部分は自分には理解できないことだが、その人にとっては必要なことなのだろうと解釈することである。
受け入れられない部分を良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか自分の尺度に合わせて判断しないことである。その人はそういう人なのだと理解して、自分が受け入れられる部分についてだけでお付き合いすればいいのである。すると気持ちが楽になる。
自分が受け入れられないことについて、もし相手から強要されてもきっぱりと断ることである。仕方がないと内心では我慢して受け入れると、あなたの気持は相手に伝わらず、相手はあなたが気持よく受け入れてくれたと解釈してしまい、再び同じような要求を当然のごとくされてしまうことがある。
そうなると、一度受け入れたことを拒否することがむずかしくなる。それで人間関係がいやになる。だったら、最初から嫌なものは嫌だとはっきりさせておくべきである。それでお互いに気まずくなるのならしかたがない。我慢して付き合っても、今後ともうまくいくはずがない。そういう人とはお付き合いをしないことである。
世の中に自分を嫌う人は必ずいるものである。それでも自分を好いてくれる人も必ずいる。世の中の人すべてに嫌われる人はいない。そして世の中の人すべてから好かれる人もいないのである。
自分を嫌う人と親しくなることはないし、その人に嫌われないようにする必要もない。嫌われないようにと努力をすると、自分らしさがなくなる。自分に嘘をついて生きていかなければならない。それは大きなストレスになり、長くは続かない。
あなたは世の中の人すべてを好きだと感じているだろうか?好きな人もいれば嫌いな人もいるにちがいない。それと同じように、世の中にはあなたを好いてくれる人もいるし、あなたを嫌う人もいる。たまたまその人があなたを嫌っているだけのことである。自分を嫌う人に好いてもらおうとしないことである。好いてくれる人とだけ仲よくすればいいのである。
]]>例えば、昔は友達の電話番号や自宅、学校、会社や取引先、その他大切な人の電話番号などはよく覚えていたものである。今ではケータイが普及して、電話番号はすべてメモリーに記憶されている。だからどこへかけるにも指先の操作だけでつながってしまう。
電話番号を憶えていなくても電話がかけられるのというのは、便利この上ないのだが、その分、脳はいままでやっていた仕事をさせてもらえないため、記憶する能力はいっきにダウンしてしまうのである。
人の記憶は、記銘、保持、追想、再認というプロセスを経て完成する。
記銘とは、ものや人の名前など、記憶する対象となるものを明確に意識することである。すなわちこれは財布だ、手帳だ、通帳だなどと、そのものであることをきちんと確認することである。そして保持とは、記銘により確認した内容を、脳の神経細胞の中にストックすることである。これらはほぼ同時に行われる。
追想とは、記銘・保持した内容を思い出す作業であり、再認とは、思い出した内容を最初に記銘・保持した内容と同じであるかどうか確認して、再び記憶した内容を意識の上に上らせることである。
もっとわかりやすく説明しよう。運送業者が商品をトラックで倉庫に運び、保管する状況をイメージしてほしい。運ばれた商品を、記憶する内容とおきかえてみる。
倉庫に着いたらトラックから商品を降ろし、フォークリフトで倉庫の中へ搬送する。
この際、商品を運んできたトラックの運転手は、倉庫の係員に商品の内容と個数を伝え、納品書を渡す。これを受け取った倉庫の係員は、内容を確認して運転手に受領書を渡す。この行為が記憶では記銘ということになる。
次に、商品はフォークリフトで倉庫内に運ばれ、所定の位置に保管される。これが記憶では保持ということになる。
日を改めて商品が必要となった時、トラックの運転手は、先日受け取った受領書を持って倉庫にいき、倉庫の係員にみせて商品を運び出すことを伝える。倉庫の係員は受領書を見て商品を確認し、フォークリフトで倉庫から商品を運んでくる。これが追想にあたる。
そして、倉庫から運び出された商品が以前、トラックの運転手が持ち込んだものと同じものであることを確認する。これが再認にあたる。このようにして記憶は完成するのである。
この流れのどこかがうまくいかないと、記憶はできなくなる。
記憶の障害には、記銘の障害と追想の障害がある。記銘の障害は、記憶の入り口の障害であり、新しいことがらが憶えられないことである。追想の障害は、記憶したものを思い出せないという障害で、健忘といわれるものである。
倉庫のたとえでいえば、記銘障害は商品を倉庫に持っていっても、係員がいなくて商品が倉庫に入らないことであり、追想の障害は倉庫にあった商品をフォークリフトで外に運び出せないでいる状態である。
歳をとると、人は新しいものごとが理解できなかったり、憶えられなかったりする。古い記憶は残っていて、昔の話をさせるといきいきとして話し始めるが、これは追想の障害ではなく、記銘の障害なのである。しかし、認知症になると、最終的には追想も障害される。
物忘れをしないためには、この記銘、保持、追想、再認という記憶のプロセスを、スムーズに動かしていくことが大切である。
脳の神経細胞は活動を繰り返すことによって、その機能が強化される特徴がある。普通、物は使うと減ってしまいなくなるものであるが、脳は適切に使えば使うほど能力は増していくのである。脳の神経回路は使えば使うほど、スムーズに速く処理することが出来るようになるのである。
学習するということは、神経回路に痕跡を残すことであり、これが記憶となって蓄積される。物忘れをしなくなる方法は、物を憶える習慣を作ることであり、そのことで神経回路は活性化される。さらに記憶の出し入れを頻回に行い、神経回路が太くなることによって、記憶情報の流れが良くなるのである。
具体的には、忘れてしまったことをそのままにしていないで、思い出すまで根気よく努力することである。思い出せないからもういいやとあきらめないことである。思い出す練習を繰り返すことによって、記憶の回路が太くなり、物忘れが減っていくのである。
]]>もちろん原因が特定できて、それを取り除ければ困難は解消し、問題は消えるのであるが、原因が見つからなかったり、たとえ原因が特定できても、それが取り除けない場合もある。そんなときはどうしたらいいのだろうか。
解決策として一般的には、いま置かれている状況を正しく分析し、いま自分にできる最善のことをして、そこで一応の答えを出したことにするしかないのである。それでも問題が完全に解決しているわけではないので、不満や不全感が残るのは残念ながらしかたがない。
その後も何とか問題を完全に解決しようと躍起になる。そしていつか必ず答えが見つかるという思い込みがあるので、そのことをなかなかあきらめきれないものである。
わたしたちは小さいころ、学校でいろんなことを学ぶ。学習したことを試験で確認する。自分が出来なかった問題、間違ってしまった問題については、どこが間違ったのか、どこに気がつかなかったのか、模範解答を見ながら検討する。そして自分が間違ってしまった問題を改めて検討し、正解を導きだす。
わたしたちには、こういう考え方が小さいころから知らず知らずのうちに、こころの中に入り込んでいるのである。学校で出される問題には必ず正解があり、しかもそれは一つだけである。問題が出来なかったのは、単に自分の知識が足りなかったり、知らなかっただけである。だから、何故だろうと思って調べていけば、必ず答えに到達するのである。
このやり方を自然に抵抗なく受け入れているために、社会に出てからも、問題を解決する方法として同じ考え方をしてしまう。きっと模範解答があるはずだと。しかし、社会に出てから遭遇する問題には決して模範解答はなく、たとえあったとしても答えは一つではなく、複数ある場合もある。さらに答えの出ない問題もあるのである。
人生のいろいろな困難な問題に遭遇したとき、人はよくなぜこうなったのかと原因を探ろうとする。ああでもない、こうでもないと探し回る。その間、解決すべき問題はそっちのけでそうなった原因を追究する。
決断を求められているのに、原因が分からないと結論が出ないと思い込んでしまう。これがストレスになり、精神エネルギーを浪費してしまい、疲労困憊してしまうのである。
やっと少しずつ原因らしきものがみえてくる。でもそれは結論が出るものでも、解決できるものでもない。すると今度はできない理由を考え始める。こういう理由でできない、これは誰がやってもできない。だからわたしに出来なくても当然であると、言い訳を始める。
その言い訳はなるほどと思わせるような説得力がある。それなら仕方ないねと周りの人を納得させる。でも問題は解決していない。こういうやり方に慣れてしまうと、言い訳がうまくなり、自分の言い訳で周りを説得することで、場合によっては、問題がいかにも解決したかのような錯覚を起こしてしまうのである。
困難な問題を解決する方法の一つは、それをいくつかの小さな問題に分解してみることである。どんなに困難な問題も、複数の要因が複雑に絡み合っていることが多い。それらを小さな問題に分けてみると、その小さな問題は解決できることが多い。そしてそれを丹念にやっていくと、いつの間にか困難と思われていたものが、解決できてしまうのである。
もうひとつのポイントは、何故出来ないのだろうと考えることを止めて、どうしたらできるようになるだろうと考えることである。先に述べたように、何故だろうと考えると行き詰ることが多い。どうしたらできるかを考えるとみちが開けるのである。
何故だろうと考えると、原因が見つかる場合と見つからない場合がある。見つかった場合でも、その原因を取り除くことが出来る場合と出来ない場合がある。原因がわかってそれを取り除くことが出来る場合は何ら問題なく解決するので、困難な問題ではないのである。
それ以外の場合が困難な問題になるわけで、その場合、すぐさま原因を追究することを止めて、具体的にどうしたら良いのか、その方法を考えるのである。原因を特定できなくても、とりあえず状況を改善させる方法はいくらでもあるはずである。
解決するためのいろんなアイデアを出していくのである。こうしたらうまくいくのではないか、ああしたらうまくいくのではないか、いくらでもアイデアは出てくるものである。
出てきたアイデアを単なるアイデアに終わらせずに、どんなアイデアでもとにかく実行に移してしてみることである。一つのアイデアでうまくいかないことがわかれば、次のアイデアを実行するのである。これを繰り返していると、いつの間にかどんな問題も必ず解決するのである。
]]>もちろん、この歌のように愛し合っている二人が一緒にいて、ともに時間を過ごすときには、このセリフのような「しあわせ感」に浸ることができるだろうし、大切にしている家族と過ごす時間や、こころを許した大親友と共通の話題で盛り上がり、お互いの気持ちが通じ合えたときなどにも、「しあわせ感」に浸ることができるだろう。
そのほかにも欲しいものが手に入ったり、行きたいところに行けたり、やりたかったことがやれたりといった願望がかなったりしたときには、しあわせを感じることができるにちがいない。
ところが、世の中にはしあわせを感じたことがない、そんなものは映画や小説、テレビドラマの中の虚構の世界のことだと思っている人がいる。現実の世界でも人付き合いの中で、しあわせそうなふりをしなければならないときに、しあわせそうに振舞うことはできる。でも心底しあわせだな〜と感じているわけではないという。
このような人たちでも、ときには「うれしい」とか「楽しい」とか「気持ちがいい」などと感じることもあるだろう。「しあわせ感」はこれらの陽性感情を強く感じたときに現れるものなので、そのような人たちが少しでも「うれしい」「楽しい」「気持ちがいい」と感じるならば、少しだけ「しあわせ感」を感じていることになるのではないだろうか。
しかし、このように人によってしあわせの感じ方が違うのは何故なのだろうか。一つには、それは人によって感受性が違うからといえばそうなのだろうが、もっと広くとらえると性格の問題ということになる。
性格は、持って生まれた気質と生育環境によって作られるが、しあわせを感じやすい人は、陽性感情を基本的な感情として持っており、しあわせを感じにくい人は、陰性感情を基本的な感情として持っている人といえる。
陽性感情とは「うれしい」、「楽しい」、「気持ちいい」などの良い気持であり、陰性感情とは「悲しい」、「辛い」、「不愉快」などのいやな気持ちのことである。
また、しあわせ感は絶対的なものではなく、あくまで相対的なものである。だからだれでも自分の人生の中でしあわせを感じるときと、そうでもないときがある。また人と比べて自分はしあわせなほうだとか、人と比べて自分は不幸だとか感じるときもある。
あなたはいままでの自分の人生を振り返ってみて、自分はどちらかというとしあわせを感じにくい方だと思ったら、どうしたらいいのだろうか。しあわせを感じやすくなる方法はあるのだろうか。
先に述べたように、「しあわせ感」は陽性感情を強く感じたときに現れるものなので、陽性感情を基本の感情にすれば、しあわせを感じやすくなるということになる。でもそう簡単にはいかない、陰性感情を基本感情にしている人にとって、性格を変えることは難しいといわれそうだ。
しかし、性格は持って生まれた気質と環境によって作られるものであり、もって生まれた気質は、なかなか変わらないかもしれないが、自分の性格に影響を与える環境は変えることができる。そして、環境が変わると、変わらないと思っていた、持って生まれた気質も影響をうける。
環境とは、自分の周りにあって自分の考えや行動に影響を与えるものすべてであり、その環境の影響を、自分の中に取り入れるか、取り入れないかを決定する基本的な考え方は、もって生まれた気質によるということになる。
だから環境に影響を受けた気質は、その影響を取り込むことによって新しい気質に生まれ変わることができるのであり、その新しい気質が再び環境の影響を受けて、さらに新しい気質に成長していくのである。
そう考えると、性格は変わるというよりは人が生きているというだけで、自ら成長するものであると定義するほうが正しいといえる。だから、陰性感情を基本感情にしている人が陽性感情を増やしたいとおもえば、陽性感情を感じやすい環境作りをするように心がければ良いということになる。
山のあなたの空遠く「幸(さいわい)」住むと人のいふ。ああ、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみかえりきぬ。山のあなたになほ遠く「幸」住むと人のいふ。−上田敏訳 『海潮音』より。
ドイツの詩人、カール・ブッセの有名な詩「山のあなた」によると、幸せは山のあなたにあって、手の届かないもののように表現されているが、しあわせは何処か遠くにあるのではなく、手の届くところ、すなわち自分のこころの中に存在するものであって、自分の考えや行動によって、作り出していくことができるものなのである。
]]>しかし、彼は新大陸を発見した功績を認められて、それを祝う晩餐会がスペインの王宮で開かれた。当時すでに地球が丸いという説が有力であったので、コロンブスの成功を妬む人々から「西へ向かって航海すれば、誰でも陸地を発見できた。」と揶揄されてしまった。
これに対してコロンブスは一計を案じ、テーブルにあったゆで卵を手にとり『誰かこの卵を立てることができる人はいませんか』と人々に問いかけた。なぜそんなことをいうのか不思議に思いながら何人かの人がチャレンジしたが、誰も卵を立てることができなかった。
コロンブスは、卵の端を軽くテーブルに打ちつけ凹ませて卵を立てて見せた。そんなことをすれば誰だってできるではないかといわれると、『皆さん、誰かがやった後になって、そんなことは雑作もないことだ、というのはたやすいものです。』といって妬む人々をけん制したという。この話については諸説があり真偽のほどは定かではないが、それはともかく、とても含蓄のある逸話である。
この話の意図するところは、「後になってみると、誰にでもできる事柄であっても、最初にやるときは困難が伴い勇気がいる。」ということであろう。さらに転じて発想の転換が大切であるという教訓にもなっている。
すなわち、卵を立てるという行為を文字どおりとらえて、何の工夫もないまま立てようとするような常識的な発想では不可能であるが、コロンブスがやったように端を凹ませてくぼみを作り安定させるという、誰も思いつかない発想に気がつくか気がつかないかで、物事が成就するかしないかの分かれ道になるという、新たな教訓ともとらえることができる。
私たちは一般的に常識というものにとらわれる傾向があるが、何か新しいことを成し遂げるためには、いままでとは違った考え方やアイデアが必要になってくる。そして人は何か新しいことをやろうとすると、必ずといっていいほど困難にぶち当たるものである。しかもそれを乗り越えるためには、常識的な考え方が通用しないことが多い。
何か良いアイデアはないだろうかと必死になって探し求めるが、そう簡単に見つかるものではない。
それは誰でも、その人だけが持っている考え方の枠組みがあるからである。つまり、小さい頃から教え込まれたこと、体験したこと、テレビや雑誌などのマスメディアを通して、周りの大人たちから知らず知らずのうちに吹き込まれたことなどを、気がつかないまま自分の考え方として、つまり常識として身につけてしまっているのである。
だから、それを疑ったり変えたりすることは、自分の精神的なよりどころを不安定にすることになり、自分の存在そのものを危うくするものと捉えてしまうため、なかなかそれと違った、新しい考え方を受け入れることができないものである。
しかし、新しい事態に対処するには、自分の持っている考え方の枠組みを再検討する必要がある。この枠組みを壊すというのではなく、新しい事態に対処するための、新たな考え方を自分の心に追加するという発想が必要なのである。
もし、いま持っている心の枠組みを壊して新しく再構築するとなると、いままでの自分の考え方をいったん壊してしまわなければならないと思ってしまうため、自己の存在の危機を感じてしまい、精神的に不安定になってしまう。
そうではなく、新しい考え方も今までの考え方も同じ価値を持って大切に扱っていけばいいのである。お互いが矛盾していてもその存在を認め合うことに何ら不都合はない。
新しい考え方と今までの考え方の、どちらかを正しいとすれば、矛盾する考え方は間違いということになる。しかし、価値判断の基準を、正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかではなく、自分にとって快適なものか不愉快なものかにすれば、基準とする根拠が違ってくるため、矛盾は生じないのである。これが考え方の新しい枠組みである。
この誰もが持っている考え方の枠組みを、これまで想像だにしなかったものに切り換えると、世界が変わって見える、新しい自分が創造されるのである。
かってライト兄弟は、鳥のように大空を飛びたいという願望を抱いた。そしてそれを願望のままで終わらせず、どうしたら鳥たちのように空を飛べるのだろうかと考えた。いろいろ思いを巡らせて、飛ぶための様々なアイデアを考え、それを飛ぶための技術に昇華させていった。そして1903年12月17日、世界で初めて、12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号による有人飛行を成功させたのである。
その時代に人々にとって、機械が空を飛ぶなんて有り得ないというのが常識であった。当時の知識人、大学教授、著名な新聞も科学的に不可能であるとコメントしている。常識にとらわれていたからである。個人も社会も常識に捉われていたら、成長も進歩もないのである。
宿題なんか早く片付けてしまえばいいものを、遊ぶことばかり考えて、ついつい後回しにしてしまい、母親に「何でもっと早く済ませておかなかったの、まったく!」と怒鳴られながら、29日、30日、31日の3日間、ほとんど眠る時間もとれず、泣きながら机に向かったことを思い出す。
「夏休みの友」は各教科の基本問題を集めたもので、時間さえあれば何とかなるが、「絵日記」にはその日の天気を記入する欄があり、当然記録していなかったので分からない。夏休み中の新聞を集めるだけ集めて「お天気欄」を参考に書いたが、この欄にはあくまでその日の天気予報が書いてあるので、もし予報が当たっていなければ、ウソがばれてしまう。
「絵」と「日記」は適当に創作してしのいだが、「工作」はとうとう間に合わず、母親に作ってもらった凧を、体育館で開かれた「夏休み工作展」に出品してしまった。
いまとなっては懐かしい思い出であるが、あんなに時間があったのに、なぜやらなかったのだろうかと考えてみた。
すぐに出た答えは、楽しいことは禁止されてもやろうとするが、嫌なことはできるだけしたくない、やらなくてはいけないことも、嫌なことならできるだけ後回しにしたいという、だれでもが普遍的に持っている、素直な気持ちなのではないかということであった。
これは人の自然な心理として、理解してもらえるであろう。でもこのままではいけないとしたら、どのような解決策があるのだろうか。やりたいことをやることは、ちっとも苦にならないが、やりたくないことをやるためには、何か秘策みたいなものはないだろうか。
でも、やりたくないことは、いくら考えても、やりたくないという結論しか出ない。しかし、やりたくないことを、やりたいことに変えることができれば、やりたくないことも、やりたいことになり、結果的にはやることができるようになるのではないか。
それは詭弁だといわれるかもしれないが、できないことではないだろう。ではどういう方法があるのだろうか。
多くの場合、ものごとをやりたくないという結論を出すときには、まだそのことをやっていないことがほとんどである。きっと嫌なことにちがいないという先入観をもち、始める前からそのように決めつけていることが往々にしてある。
まずは何事も始めてみることである。始めてしまえば、始める前に持っていた先入観や嫌なイメージは変わっていくものである。意外に楽しいではないかと思うこともある。
さらにやる気を出すために大切なことは、どんなにやりたくないことでも、いったんそれを始めたら、やりたいという気持ちが湧き起こってくるまで、どんな理由があろうと、起こした行動を中断しないことである。やりたくないことをやり続けていると、不思議にやりたくないという気持ちは薄らいでくる。
なぜなら、人は自分がやっていることを正当化し、自分がやっていることは正しいことだと思い込む傾向があるからである。だからやりたくないことをやり続けていると、自分にとって正しいことをしていないという思いがして、気持ちに違和感が生じる。
すると人は自分がやっていることが、やりたくないことであってはならないという心理が働き、やりたくない気持ちが、しだいにやりたい気持ちにすりかわってしまうのである。
ただし、これは自尊心の高い状態のときほどその傾向が強くなるが、うつ状態のときなど、自尊心が病んでいる時は、かえってストレスになることがあるので注意が必要である。
このように行動を継続することにより、人は行動することを学習する。行動の内容は何であっても、行動すると意欲が湧いてきてさらに心が成長する。すなわちそれが、やる気を起こす一番の方法なのである。
そしてやる気という「気」を、心に感じている時間をできるだけ長くすることで、やる気を学習し、それを心に記憶させるのである。
何かを始めたら継続すること、途中で止めないこと、止めたい衝動に駆られても、決して中断しないことである。多くの場合、疲れるからとか、これ以上やっても意味がないとか、他にやることがあるからとか、止めるための言い訳を考え、止めてしまった自分の行為を正当化しようとするものである。
しかし、この誘惑に負けて行動をやめてしまえば、一時的には楽になるかもしれないが、そのあとしだいに挫折感を感じるようになり、止めたことを後悔して、自分に自信がなくなってしまう。止めてしまうと、やる気を身に着ける機会をなくしてしまうのである。
]]>一般的には、「悲しみ」という感情が「涙を流す」という行為を引き起こすが、逆に「涙を流す」という行為が、「悲しみ」という感情を引き起こしてしまうことがあるという。これはいったいどういうことなのだろうか。
みなさんは疑問に思ったことはないだろうか。たとえば役者さんが、演技とはいえ悲しい場面で涙を流すといったシーンがあったとする。そのときの役者さんは、心の中で何を考えてその役を演じているのだろう、演技の最中の気持ちはいったいどういうものだろうかと。
役者さんと知り合いではないので、聞いてみることはできないが、おそらく、悲しい場面では、悲しい気持ちになるよう、自分の中の悲しい経験や思い出を、演技に重ね合わせて、頭に浮かべるように意識しているのではないかと思う。そして涙が出てくるとそれが増幅されて、さらに悲しさが増し、迫真の演技ができるのだろう。
以前、人は知識や概念だけでなく、感情や動作も記憶されるという話をしたことを思い出してほしい。人が物事を記憶するときには、そのことを写真のように映像として記憶する場合と、連想することによって記憶する場合があるのだが、ここでは連想することによって記憶する場合を考えてみよう。
例えば、ちょっと古いが、大阪万博といえば岡本太郎の太陽の塔、新幹線開通といえば東京オリンピック、最近では麻生太郎といえば秋葉原、民主党といえば政権交代という言葉を思い浮かべ、連想してしまう。
そして、これらの言葉は、例えば政権交代といえば民主党と言いかえることも、すなわち逆に連想することも、特に不自然ではないのである。
この論理でいけば、「悲しみ」という感情が「涙を流す」という行為を連想し、思い出すと同じように、「涙を流す」という行為が「悲しみ」という感情を連想し思い出すのも、特に不自然ではないのである。この論理が分かると、他のことへも応用が利く。
人は楽しいときには自然に微笑み、笑いがでてくるものである。これもあたりまえのことである。だから先に述べた論理によれば、たとえ辛いときでも、意識して笑うという行為をすると、楽しいという感情が連想され、思い出されるのである。
辛いときや苦しく憂鬱なとき、とてもそんな気にはなれないという気持ちも、分からないわけではないが、そこをあえて笑ってみる、鏡にむかって笑顔を作ってみると、いままでそんなことは信じられないと思っていた人も、きっと自分の感情の微妙な変化に気がつくはずである。
さらにいまの自分は決して幸せではないと思っている人でも、自分は幸せであると意識して思い込む行為を繰り返していると、幸せな感情が少しずつ湧いてくるのである。どうしてもそのように思えないときは、次のように考えるといい。
もともと幸せの感情は相対的なものである。つまり、これ以上不幸なことはないというところから、最高に幸せで、こんなに幸せでいいのだろうかという幸せまで、アナログに変化するものである。
だから、たしかにいまの自分は幸せではないかもしれないが、昔の辛かったときに比べれば、幸せな方かもしれない。いまの自分は幸せではないかもしれないが、あいつよりは幸せなのではないか、などと思ってみると、いまの幸せの感情を感じやすくなるだろう。
「あの死ぬほど辛い状況を、自分の力で乗り越えてきたのだから、いまの辛さなんて辛いうちには入らないよ。」という気持ちになれば、いまの幸せを実感できる心が、出来上がるのではないだろうか。そして、それに対して感謝の気持ちを持つことで、幸せの感情を、心に定着させることができるのである。
いまはもうなくなってしまったが、飯田橋にあった日本医大第一病院で、内科の入院患者さんを臨床講堂に集め、講堂の演壇を高座にしつらえて、林家木久蔵一門の落語を聞いてもらい、おおいに笑ってもらったことがある。
もちろん研究のためであるが、落語を聞く前と聞いた後で、患者さんの血液中の免疫細胞の量をはかったところ、落語を聞いて大いに笑った後では、免疫細胞の量が格段に増えていたという。つまり笑うことによって、病気にかかりにくい体になったということである。
「笑うかどには福来る」という。笑いは心だけでなく、身体も健康にしてしまうのである。
]]>さらに続けて、イエスは「神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるものである。」とも言っている。この「パン」は、人が健全な身体を保つために必要な食物全般を表し、そして「神の口からでる言葉」は、人が健全な精神を培うために必要な人生の指針を意味している。
人も他の生物も、生きるためには食べ物が必要であることは言うまでもない。しかし、人が人として生きるためには、それだけでは不十分であるとイエスは言う。
生き物の頂点に立つ人間と他の生物との大きな違いは、人は持って生まれた本能だけではなく、生きるために必要なあらゆる情報を、適切に取り込み、加工・処理してその結果を生かし、活用する能力に長けていることである。
そして、これらのことができるのは、人が言葉を持っているからなのである。
言葉には良い言葉と悪い言葉がある。言葉には魂が宿るという。良い言葉も悪い言葉も人に大きな影響を与える。例えば、喜び、感謝、希望、満足、愛などに伴う言葉は人を幸せにし、悲しみ、罪悪感、恨み、嫌悪、非難、怒り、恐怖などに伴う言葉は人を不幸にするのである。
物事がうまく行かなかったり、自信がなくなったときや、窮地に陥ったときなど、人はそこから逃れるために必要な情報を得ようとする。適切な情報が手に入って、窮地を脱することができれば問題ないのだが、そうでない場合も多いものである。
窮地をなかなか脱することができないと、誰かに頼ろうとする。そしてその誰かの助言が不適切であっても、なかなか気がつかず、間違った判断をしてしまい、結果的にもっと窮地に追い込まれてしまうこともある。
さらに助言してくれるその誰かが、善意の人ばかりとは限らない。悪意ある人に捕まってしまうと、いいように操作され利用されて、ますます窮地に追い詰められてしまう。
よく「あなたのために言っているのよ。」とか、「そうしたほうがあなたのためだよ。」とか「あなたはこうすべきだ。」とアドバイスしてくれる人がいるが、果たしてそうなのか。その人は私のことをどれだけ知っているのか。
私自身より私のことを知っているような口ぶりで、感情的にもならず、権威をもって断言されると、自分に自信がない人にとっては、ついそうかもしれないと思ってしまう。
しかし、冷静に考えてみると、自分の人生をどう生きるか、決めるのは自分自身なのである。「あなたのために」という言葉が本当ならば、その提案を受け入れてもいいかもしれないが、その人の行動を観察していると、その人の提案を受け入れることによって、私のためというより、その人の利益の方が大きくなることを見出すことがある。
「あなたのために」ではなく「自分のために」あなたを利用しようとしているのである。
このようなことは枚挙にいとまがない。他人を操作しようとする人の言葉にはいくつかのパターンがある。そして操作されやすい人の性格にも一定のパターンがある。そして操作する人は、操作されやすい人をするどく嗅ぎ分ける天性の能力をもっている。
操作されやすい人は、多くの場合自分に自信がなく、自分の決断を他人の評価で決めようとする。そこにつけ込まれる言葉が、「もしあなたがそんなことをしたら、世間はどう見るでしょうね。」である。
そう言われると、ただそれだけで自分の行動が、世間に受け入れられないものだと勘違いして、行動をやめてしまう。自分に自信がない人は、世間の評判を必要以上に気にしてしまうため、その言葉だけでいとも簡単に操作されてしまうのである。
他人を操作しようとするときの言葉は他にもある。「あなたの言葉がどんなに私の心を傷つけたと思いますか。」と罪悪感をもたせようとしたり、「私のことを愛しているのなら、それをしてくれるのは当然じゃないですか。」と自分の要求することを受け入れるのが、愛することの証になると言ってみたり、「あなたともあろう方が、なぜこんなことをなさるのですか。」といったん持ち上げておいてから、罪の意識をもたせることによって、こちらの気持ちを混乱させ、自分に有利に話を展開するやり方をする人もいる。
人の言葉には多くの場合、言外の意味がある。悪意ある言葉に翻弄されないよう注意が必要である。人との会話の中で心理的に負担を感じるようなら、心理操作をされている可能性が大きい。言葉の罠にご用心。
]]>じつはこころも疲れるのですが、「こころが疲れる」ということについては、あまり理解されていないようです。それは何故でしょうか?
私たちは自分の身体が疲れた時、たとえばスポーツや肉体労働の後など、疲れの原因となるものを、自分ではっきり意識できますが、こころが疲れた場合は、疲れる原因を、自分ではっきり意識できないことが多いからなのです。
「今日は疲れたなあ」と思ったときのことを、思い出してみてください。予定外の仕事があった時など、それほど身体を使ったわけではないのに、ひどく疲れを感じることがありますね。こころの疲れは、からだの疲れとして感じられることが多く、特にふだんと違うことをする時に、強く感じるものなのです。
こころの疲れは「想定外」のことや、ふだんし慣れないことをする時に強く感じます。こころは変化に弱いのです。変化はストレスになり、それが不快な気持を作り、身体症状としての肩こりや、腰痛、頭痛、食欲減退などを引き起こしてしまいます。
そこまでいかないうちに、疲れの段階でとどめて、そこからの回復をはからなければなりません。そうしないと、さらに胃炎、嘔気嘔吐、胃・十二指腸潰瘍、下痢などのいわゆる心身症に発展してしまい、治療が必要になってしまいます。
こころの疲れに気づく方法は、いま自分は楽しい気分でいるか、それとも楽しくない、嫌な気分でいるのかを、自分自身に問いかけてみることです。もし楽しくない気持であれば、こころは疲れているといえます。
楽しくない気分であれば、その原因をさぐります。例えば会社勤めの人の場合、さきほど述べた予定外の仕事などをはじめ、クライアントのクレームにうまく対処できず、落ち込んでしまった。それを上司に報告して叱責された。自分としてはできるだけのことをしたつもりだが、結果だけで判断されてしまう。同僚になぐさめられても、気持ちは晴れない。
このような場合、帰りに一杯ひっかけて、行きつけのバーのママに、上司の悪口を言ってすっきりする人は、疲れを翌日に残さないでしょうが、多くの人はこころの傷として、そのことはいつまでもこころに残っているものです。
楽しくない気分は、ストレスと関係があります。人がストレスを感じる場合とはどんな時なのでしょうか。簡単な言葉でいえば、物事が思うようにいかないときですね。そんなことは分かっているよといわれそうですが、その後が大切です。
生きている限り、いつも自分の思うように物事が展開すれば、ストレスを感じる人はいなくなるでしょう。あるいは、そんなにうまくいくこと自体が怖くて不安になり、そのことにストレスを感じるかもしれません。
物事がうまくいかないとき、わたしたちはそのことを何とかしようと考えますが、何とかなることでしたら、ストレスにはならないですよね。何ともならないことを何とかしようとするので、答えに行き詰まりストレスを感じてしまうのです。
何ともならないのであれば、それはそのままにしておこう。そのうち何とかなるだろうと開き直ることが大切です。いまの自分にはその問題を解決する力がない。でもこころが成長して、その問題を解決できる日がいつか来ると確信して、その日を待つことです。
小学校3年生の児童生徒が、6年生の試験問題を解こうとしても解けませんが、その子が6年生になったら解けるようになるのです。あなたは3年生なのに6年生の問題を解こうとしていませんか?
もちろんいま解決できることは、解決しなければなりませんが、ストレスを感じさせている物事、すなわちどうにもならないことは、そっくりそのまま置いておくのです。解決することができる時がくるまで待つのです。
そのように考えると、こころの疲れは和らいできます。さらにこころを元気にするためには、意識してたのしい気分を演出します。とにかく楽しいと思える状況を作り出すのです。
そしてその気持ちをできるだけ長く維持するよう心がけます。
東京ディズニーランドに行って、童心にかえって純粋にショーを楽しんでください。年甲斐もなくと非難されてもいいのです。人が何と言おうと気にしないでください。ここは人工的に演出されたショービジネスと分かっていても、こころを開放するすごい力を持っています。
]]>悩むとはどういうこころの状態なのでしょうか。「苦悩」という言葉もあるように、悩みには苦しさも伴います。できれば悩まないで生きていたいですね。悩み苦しまないで生きていく方法ってあるのでしょうか。
まず悩みとはそもそも何だと思いますか。広辞苑には『いたみ苦しむ。病む。』と書いてあります。これではよくわかりません。
「苦」について仏教では『四苦八苦』という言葉があります。
「四苦」とは「生老病死(しょうろうびょうし)」のことで、文字通り、生きること、老いること、病気に罹ること、死ぬることの苦悩であり、これに愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四つの「苦」を合わせて「八苦」といいます。
「四苦」とは別に「八苦」があるわけではありません。
愛別離苦とは、愛する人と別れなければならないときの苦しみであり、怨憎会苦とは、憎い相手とも会わなければいけないときの苦しみであり、求不得苦とは、求めても得られないときの苦しみ、五蘊盛苦とは、人が生きて活動するときに味わうさまざまな苦しみをいいます。
生きているといろいろ悩みはありますが、悩みというのは、現状では解決できないことがすでに充分わかっている問題を、何とか解決したいという気持から起っているのです。
悩みを悩みとしてそのまま見れば、悩みというのは、一般的にはどうすることもできないものなのです。そういってしまえば身も蓋もないのですが、悩みを別の角度から見てみる、多方面からアプローチしてみると、解決手段が見えてきて、悩みが解消する場合があります。
岡目八目といいますが、当事者には見えていない解決手段があるのに、そのことに気がつかないで、頭の中で同じ考え方を繰り返していると、どうどう巡りをしてしまい、いつまでも結論に達することができず、疲れ果ててしまいます。
つまり、いままでと同じ考え方では、いくら頑張っても解決できないものが、悩みというものなのです。ですから別の見方、別の考え方が必要になってきます。
だとすれば、考え方の基本的なところに立ち戻って、考え方の根本を変えていかなければなりません。でもどのように変えていったらいいのかよくわかりませんよね。
人には変革を嫌い、安定を好む傾向があります。だから変わることは不安なのです。変わることはストレスになり、多大なこころのエネルギーを必要とします。できることならこのままでいたという気持ちがとても強いのです。
不思議なことなのですが、人はどんなに悩み苦しんでいても、それを変えようとはしないところがあります。それはその人にとって変わることの不安のほうが勝ってしまうからなのです。
そうはいっても、いまのままでは悩みが解決しないとしたら、解決するための方法を検討しなくてはなりません。いままでと違った角度から悩みを検討しなければなりません。
しかし、新しい考え方を取り入れようとするとき、こころの中では変革を求めるエネルギーと、安定に固執するエネルギーのせめぎ合いになります。
安定を求める気持ちは、いままで自分が悩んできた苦しさをよく知っているために、変わろうとすることによって、またそのような苦しみを味わうのではないかという、過剰な心配と、強い不安があるからであり、さらに、変わることによって悩みが解決するとは、思えないからだとおもいます。
どうせ何をやっても変わらないし、何をやってもむだであると結論を出しておきながら、それでも何とかしたいという、矛盾する思いが同時に存在するために、こころのエネルギーが相殺して、無くなってしまい、結果として無力感だけを感じるようになってしまうのです。
すると、その問題は解決しないまま、その問題が存在することによって、それを意識するたびに、何度もストレスを生み出してしまうのです。
変革に向けての一歩を踏み出す勇気が必要です。
「般若心経」というお経の中に、この悩みというこころの状態を開放する考え方が述べられています。一言でいえば「空(くう)」の思想とでもいうのでしょうか。奈良薬師寺の管主であった高田好胤さんは、これを「かたよらないこころ、こだわらないこころ、ひろくひろく、もっとひろく」とおっしゃっています。
「空」とは何もない「無」という意味ではなく、何にでもなりうる無限の可能性を秘めたこころの状態のことであり、「NOTHING」ではなく「EVERYTHING」という意味なのです。
つまり一つのことに固執せず、つねに自由に変わりうるので、そのこころがどのようなものであるかと、決めつけることができないこころの状態なのです。
その境地になると、自分の意志で、悩むもよし悩まぬもよしということであり、どちらをとるかは、あなたが決めることですよ、どっちがいいですかと言っているのです。悩むのも一つのこころの状態に過ぎず、悩まないのも同じ一つのこころの状態に過ぎないのです。
先に述べた、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の五蘊は、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊のことであり、蘊は集まりを意味します。色(しき)はこの世の中に存在する形ある物、人の身体を含めた物という概念であり、受(じゅ)は五感を通じて感じること、想(そう)は想うこと、行(ぎょう)は意志をもって行うこと、識(しき)は考え認識して、判断することを意味します。
般若心経のなかに、「照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是」とあり、五蘊は皆な空であると述べられています。
このことの意味はすなわち、「観自在菩薩(観世音菩薩)は、五蘊は皆な空であると照見されて、一切の苦厄を度された。舎利子よ、色は空と異ならない。空も色と異ならない。だから、色は即、空であるし、空が即、色といってもよい。受も想も行も識もまた同じことだよ。」ということです。
「度する」とは広辞苑によると、「生死(しょうじ)の迷いの海を越えて、悟りの彼岸にわたること。」とあります。
観音様は、舎利子(シャーリープトラ)というお弟子さんに対して、人がこの世に生きていく時に感じている悩みや苦しみは、一つのこころの状態であって、それは絶対不変のものではなく、いくらでも変えることができ、こだわらないこころをもてば、すべての悩みから解放されると言っています。
つまり私たちが生きて、感じて、行動しているこの世の中のすべてのことは、一つのこころの状態であり、それは空であるので、決めつけることができない。だから、こだわらないで、ひろいこころをもって、悩まないで、自由に、自分の思うように、変えられますよということなのです。
ここでは「空」という言葉の意味を正しく理解することが大切です。