ハートふるメッセージ

荒川区西日暮里の神経科・心療内科・精神療法・カウンセリング・薬物療法の倉岡クリニックがお送りする、心に響くメッセージブログです
136.コロンブスの卵
 

西暦1492年クリストファー・コロンブスは、旗艦サンタ・マリア号でアメリカ大陸(正確には西インド諸島のサン・サルバドル島)に到達した。コロンブスの航海の目的は、西回りのインド航路を発見することであったが、実際に到達したのはアメリカ大陸からは遠く離れた島だったのである。

 

しかし、彼は新大陸を発見した功績を認められて、それを祝う晩餐会がスペインの王宮で開かれた。当時すでに地球が丸いという説が有力であったので、コロンブスの成功を妬む人々から「西へ向かって航海すれば、誰でも陸地を発見できた。」と揶揄されてしまった。

 

これに対してコロンブスは一計を案じ、テーブルにあったゆで卵を手にとり『誰かこの卵を立てることができる人はいませんか』と人々に問いかけた。なぜそんなことをいうのか不思議に思いながら何人かの人がチャレンジしたが、誰も卵を立てることができなかった。

 

コロンブスは、卵の端を軽くテーブルに打ちつけ凹ませて卵を立てて見せた。そんなことをすれば誰だってできるではないかといわれると、『皆さん、誰かがやった後になって、そんなことは雑作もないことだ、というのはたやすいものです。』といって妬む人々をけん制したという。この話については諸説があり真偽のほどは定かではないが、それはともかく、とても含蓄のある逸話である。

 

この話の意図するところは、「後になってみると、誰にでもできる事柄であっても、最初にやるときは困難が伴い勇気がいる。」ということであろう。さらに転じて発想の転換が大切であるという教訓にもなっている。

 

すなわち、卵を立てるという行為を文字どおりとらえて、何の工夫もないまま立てようとするような常識的な発想では不可能であるが、コロンブスがやったように端を凹ませてくぼみを作り安定させるという、誰も思いつかない発想に気がつくか気がつかないかで、物事が成就するかしないかの分かれ道になるという、新たな教訓ともとらえることができる。

 

私たちは一般的に常識というものにとらわれる傾向があるが、何か新しいことを成し遂げるためには、いままでとは違った考え方やアイデアが必要になってくる。そして人は何か新しいことをやろうとすると、必ずといっていいほど困難にぶち当たるものである。しかもそれを乗り越えるためには、常識的な考え方が通用しないことが多い。

何か良いアイデアはないだろうかと必死になって探し求めるが、そう簡単に見つかるものではない。

それは誰でも、その人だけが持っている考え方の枠組みがあるからである。つまり、小さい頃から教え込まれたこと、体験したこと、テレビや雑誌などのマスメディアを通して、周りの大人たちから知らず知らずのうちに吹き込まれたことなどを、気がつかないまま自分の考え方として、つまり常識として身につけてしまっているのである。

 

だから、それを疑ったり変えたりすることは、自分の精神的なよりどころを不安定にすることになり、自分の存在そのものを危うくするものと捉えてしまうため、なかなかそれと違った、新しい考え方を受け入れることができないものである。

 

しかし、新しい事態に対処するには、自分の持っている考え方の枠組みを再検討する必要がある。この枠組みを壊すというのではなく、新しい事態に対処するための、新たな考え方を自分の心に追加するという発想が必要なのである。

 

もし、いま持っている心の枠組みを壊して新しく再構築するとなると、いままでの自分の考え方をいったん壊してしまわなければならないと思ってしまうため、自己の存在の危機を感じてしまい、精神的に不安定になってしまう。

 

そうではなく、新しい考え方も今までの考え方も同じ価値を持って大切に扱っていけばいいのである。お互いが矛盾していてもその存在を認め合うことに何ら不都合はない。

新しい考え方と今までの考え方の、どちらかを正しいとすれば、矛盾する考え方は間違いということになる。
しかし、価値判断の基準を、正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかではなく、自分にとって快適なものか不愉快なものかにすれば、基準とする根拠が違ってくるため、矛盾は生じないのである。これが考え方の新しい枠組みである。

この誰もが持っている考え方の枠組みを、これまで想像だにしなかったものに切り換えると、世界が変わって見える、新しい自分が創造されるのである。

 

かってライト兄弟は、鳥のように大空を飛びたいという願望を抱いた。そしてそれを願望のままで終わらせず、どうしたら鳥たちのように空を飛べるのだろうかと考えた。いろいろ思いを巡らせて、飛ぶための様々なアイデアを考え、それを飛ぶための技術に昇華させていった。そして19031217日、世界で初めて、12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号による有人飛行を成功させたのである。

 

その時代に人々にとって、機械が空を飛ぶなんて有り得ないというのが常識であった。当時の知識人、大学教授、著名な新聞も科学的に不可能であるとコメントしている。常識にとらわれていたからである。個人も社会も常識に捉われていたら、成長も進歩もないのである。

ハートふるメッセージ | 18:12 | - | -
135.夏の思い出
 

夏休みが終わり、2学期が始まる頃になると、小学生のときの夏休みの宿題のことを思い出すことがある。いまの小学生のことはよくわからないが、私たちの時代は「夏休みの友」「絵日記」「工作」の3つの定番の宿題が出されて、それが悩みの種であった。

 

宿題なんか早く片付けてしまえばいいものを、遊ぶことばかり考えて、ついつい後回しにしてしまい、母親に「何でもっと早く済ませておかなかったの、まったく!」と怒鳴られながら、29日、30日、31日の3日間、ほとんど眠る時間もとれず、泣きながら机に向かったことを思い出す。

 

「夏休みの友」は各教科の基本問題を集めたもので、時間さえあれば何とかなるが、「絵日記」にはその日の天気を記入する欄があり、当然記録していなかったので分からない。夏休み中の新聞を集めるだけ集めて「お天気欄」を参考に書いたが、この欄にはあくまでその日の天気予報が書いてあるので、もし予報が当たっていなければ、ウソがばれてしまう。

 

「絵」と「日記」は適当に創作してしのいだが、「工作」はとうとう間に合わず、母親に作ってもらった凧を、体育館で開かれた「夏休み工作展」に出品してしまった。

 

いまとなっては懐かしい思い出であるが、あんなに時間があったのに、なぜやらなかったのだろうかと考えてみた。

 

すぐに出た答えは、楽しいことは禁止されてもやろうとするが、嫌なことはできるだけしたくない、やらなくてはいけないことも、嫌なことならできるだけ後回しにしたいという、だれでもが普遍的に持っている、素直な気持ちなのではないかということであった。

 

これは人の自然な心理として、理解してもらえるであろう。でもこのままではいけないとしたら、どのような解決策があるのだろうか。やりたいことをやることは、ちっとも苦にならないが、やりたくないことをやるためには、何か秘策みたいなものはないだろうか。

 

でも、やりたくないことは、いくら考えても、やりたくないという結論しか出ない。しかし、やりたくないことを、やりたいことに変えることができれば、やりたくないことも、やりたいことになり、結果的にはやることができるようになるのではないか。

 

それは詭弁だといわれるかもしれないが、できないことではないだろう。ではどういう方法があるのだろうか。

多くの場合、ものごとをやりたくないという結論を出すときには、まだそのことをやっていないことがほとんどである。きっと嫌なことにちがいないという先入観をもち、始める前からそのように決めつけていることが往々にしてある。

 

まずは何事も始めてみることである。始めてしまえば、始める前に持っていた先入観や嫌なイメージは変わっていくものである。意外に楽しいではないかと思うこともある。

 

さらにやる気を出すために大切なことは、どんなにやりたくないことでも、いったんそれを始めたら、やりたいという気持ちが湧き起こってくるまで、どんな理由があろうと、起こした行動を中断しないことである。やりたくないことをやり続けていると、不思議にやりたくないという気持ちは薄らいでくる。

 

なぜなら、人は自分がやっていることを正当化し、自分がやっていることは正しいことだと思い込む傾向があるからである。だからやりたくないことをやり続けていると、自分にとって正しいことをしていないという思いがして、気持ちに違和感が生じる。

 

すると人は自分がやっていることが、やりたくないことであってはならないという心理が働き、やりたくない気持ちが、しだいにやりたい気持ちにすりかわってしまうのである。

ただし、これは自尊心の高い状態のときほどその傾向が強くなるが、うつ状態のときなど、自尊心が病んでいる時は、かえってストレスになることがあるので注意が必要である。

 

このように行動を継続することにより、人は行動することを学習する。行動の内容は何であっても、行動すると意欲が湧いてきてさらに心が成長する。すなわちそれが、やる気を起こす一番の方法なのである。

 

そしてやる気という「気」を、心に感じている時間をできるだけ長くすることで、やる気を学習し、それを心に記憶させるのである。

 

何かを始めたら継続すること、途中で止めないこと、止めたい衝動に駆られても、決して中断しないことである。多くの場合、疲れるからとか、これ以上やっても意味がないとか、他にやることがあるからとか、止めるための言い訳を考え、止めてしまった自分の行為を正当化しようとするものである。

 

しかし、この誘惑に負けて行動をやめてしまえば、一時的には楽になるかもしれないが、そのあとしだいに挫折感を感じるようになり、止めたことを後悔して、自分に自信がなくなってしまう。止めてしまうと、やる気を身に着ける機会をなくしてしまうのである。

ハートふるメッセージ | 10:43 | - | -
| 1/1PAGES |


CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2009 >>
PROFILE
NEW ENTRY
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
OTHERS
RECOMMEND

SPONSORED LINKS