世のなかに人間関係で悩む人は多い。学校での人間関係で悩み、会社での人間関係で悩み、地域社会での人間関係で悩む。家庭では、夫婦関係、親子関係、兄弟姉妹関係、親戚同士の関係など、人が人と関わると人間関係がうまれ、そこに悩みが生じる。
人間関係の悩みはなぜ生じるのだろうか?
街で通り過ぎる人々どうしの間には人間関係の悩みは生じない。あたりまえのことである。お互いが知らないどうしであり、お互いが無関心であるから、人間関係そのものが生じないのである。しかし人が人と出会い親しい関係になると、お互いの感情がお互いのこころの間を行き来するようになる。ここではじめて人間関係が生まれるのである。
最初のうちは、お互いに相手を好意的にとらえ、優しさや親切心で満たされていて、いい関係である。しかし、時間がたち相手のことがだんだんわかってくると、好意的だった部分が、なぜか否定的な感情にすりかわってしまう。それは違うんじゃないのと、自分の考え方に合わないことが、お互いに相手の中に目立つようになるからである。
それでも、せっかくいい関係を築いたのだから、少々のことは仕方がないと思い我慢をする。そのうちまたいい関係に戻れるのではないかと期待する。しかし時間がたてばたつほどだんだんと気持ちが遠ざかっていく。こんなはずではなかったのにと思う。
最初に出会ったときは、話が合う、共通の趣味がある、好みが似ている、考え方が近い、何よりも生理的にぴったり合うなどと思ったのだろうが、それは間違ってはいない。ただしそれはその人の一部分であり、その人のすべてではないのである。人間である以上、他に違ったところを持っていても当然なのである。そんなことは理屈の上からはよく承知していたつもりでも、期待が裏切られたという感覚は残ってしまう。
人はこころの安らぎを求めるものである。人間関係でも安らげる関係が好ましいのであるが、現実にはそういう関係を持っている人は、はなはだ少ないのではないだろうか。
自分が持っている思いと相手が持っている思いは、当然、重なる部分と重ならない部分がある。重なる部分はそれでいいのだが、重ならない部分に対して、それを受け入れることができるかどうかがポイントとなる。誰でも嫌なことは嫌であるし、相手の中にある自分と重ならない部分については受け入れたくないし、我慢もしたくない。
それではいったいどうしたらいいのだろうか?
相手の持っているすべて、自分と重なる部分と重ならない部分と、いっさいがっさいを含めて、すべてを受け入れることができるだけの度量を持った人なら問題はない。そんな人はめったにいないものであるが、それが出来なくても対処法はある。
それが出来ない人の考え方として、受け入れられない部分は受け入れない、受け入れられる部分だけ受け入れることにすれば、問題は解決する。この際、受け入れられない部分についてはコメントしないことである。その部分は自分には理解できないことだが、その人にとっては必要なことなのだろうと解釈することである。
受け入れられない部分を良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか自分の尺度に合わせて判断しないことである。その人はそういう人なのだと理解して、自分が受け入れられる部分についてだけでお付き合いすればいいのである。すると気持ちが楽になる。
自分が受け入れられないことについて、もし相手から強要されてもきっぱりと断ることである。仕方がないと内心では我慢して受け入れると、あなたの気持は相手に伝わらず、相手はあなたが気持よく受け入れてくれたと解釈してしまい、再び同じような要求を当然のごとくされてしまうことがある。
そうなると、一度受け入れたことを拒否することがむずかしくなる。それで人間関係がいやになる。だったら、最初から嫌なものは嫌だとはっきりさせておくべきである。それでお互いに気まずくなるのならしかたがない。我慢して付き合っても、今後ともうまくいくはずがない。そういう人とはお付き合いをしないことである。
世の中に自分を嫌う人は必ずいるものである。それでも自分を好いてくれる人も必ずいる。世の中の人すべてに嫌われる人はいない。そして世の中の人すべてから好かれる人もいないのである。
自分を嫌う人と親しくなることはないし、その人に嫌われないようにする必要もない。嫌われないようにと努力をすると、自分らしさがなくなる。自分に嘘をついて生きていかなければならない。それは大きなストレスになり、長くは続かない。
あなたは世の中の人すべてを好きだと感じているだろうか?好きな人もいれば嫌いな人もいるにちがいない。それと同じように、世の中にはあなたを好いてくれる人もいるし、あなたを嫌う人もいる。たまたまその人があなたを嫌っているだけのことである。自分を嫌う人に好いてもらおうとしないことである。好いてくれる人とだけ仲よくすればいいのである。