以前、「なぜやる気が起きないのか」というタイトルでお話をしたと思うが、紙面の都合で「どうしたらやる気が起きるのか」ということについての説明が不十分であった。今回はこのことについてもう少し詳しく説明をしてみたい。
やる気を起こす基本は何か。それは誰の心の中にもある何かをしたいという自然な欲求を、我慢したり抑えたりしないで、常日頃から大切にすることである。
何かをやりたいと思ったら、それがうまくいくかどうか分からなくても、とにかく始めてみることである。やりたいという欲求を満たしてあげることである。やりたいという欲求を押さえつけてはいけない。我慢してはいけないのである。この時点では結果のことは考えなくていい。心の中に生じた欲求を外に向かって発露することが一番大切なことなのだ。
もちろんやりたいことが法律に反することであったり、倫理に反することであったり、人の嫌がることや迷惑になるようなことであってはならないが、それ以外のことならば何をやっても自由なのである。
多くの場合何かを始めるときに、人はその結末を予測する。それは当然なことである。そして楽天的に考える人は自分に都合のいい結末を予測するが、悲観的に考える人は、自分に都合の悪い結果に終わるのではないかと考えてしまう傾向にある。
そして悲観的な人は、自分に都合の悪い結果が出ることが怖いので、行動を起こすことを躊躇する。だから悲観的に考える人はよけいやる気が育たないのである。
どんな人にとっても先のことは分からない。予測したり想像したりすることはできても、確実に期待どおりの結果が得られるとは限らないのである。それでも何かを始めなければ成功も失敗もないのであるから、とりあえず始めてみるしかないのである。
もしその結果がうまくいかなかったら次の対策を立てる。成功するための別の方策を検討するのである。そして新しいプランで再度やってみることである。
これは何回繰り返してもかまわない。制限はないのである。むしろ何回も繰り返すことによって、小さかったやる気が大きく成長するのである。なぜなら何回も繰り返すことによって、やる気をくり返し学習したことになり、やる気が大きく成長することになるからである。
やろうとしたことがうまくいかなくても、費やした時間と労力が無駄になることはない。うまくいかないことがわかれば、それも一つの成果なのである。その成果をもとに新しいプランを立てて、再度挑戦することができるのである。つまりその方法ではうまくいかないことがわかったという成果が出たのである。
何かをしようとするとき、どうしても抵抗感があることがある。嫌だなという思いが先行してしまうと、やらなくても良いための理由を考える。「明日やればいいや、今は必要ないことだ。」と決めつける。「今やる理由はない。」などと、やらないでいる自分を正当化する。
それはそれで、その場のストレスを回避したという意味では結構なことなのだが、そういう考え方をしてしまうと、やろうとする気持ちを自分自身で押さえ込んでしまったことになる。これではやる気が育たない。やる気を育てるためには、思いついたらやらない理由を考え付く前に実行に移し、行動を起こすことである。
わたしたちの脳は学習する能力を持っている。学習するということは、脳の記憶回路に電気を流すことによって、その回路に記憶の痕跡を残す作業である。脳の記憶回路に電気を流す回数が多くなればなるほど、記憶の回路は大きく、太く成長する。するとますますその回路に電気が流れやすくなるのである。
これはどういうことかというと、やる気という情報を受け持つ回路に電気を流し続けると、やる気という思いが大きく、太くなるということである。最初は小さなやる気でも、それをくり返し感じて思い続ければ、だんだんと大きなやる気がこころに現れるということである。
そしてやらないで済まそうという考えを持っていると、その回路が働き始め、さらにいつもやらないで回避することを繰り返していると、その回路が大きく太く成長して、やらないで済ませる考え方がこころに定着してしまう。
「やる気を出すようにいつも努力はしているのですが、どうしてもやる気が出ないんです。」という人がいる。努力してもやる気が出なければ、その努力のしかたが間違っているに違いない。脳の特性を理解して、その仕組みにあった努力のしかたをしなければ成果は期待できないだろう。
やる気を育てるためには、日常生活の中のささいなやる気に気がつくこと、それを結果を気にしないで実行にうつし、結果はどうであれ成果を出すこと。そしてそういう体験を数多くこなしていると、しだいにやる気が育っていくのである。