ハートふるメッセージ

荒川区西日暮里の神経科・心療内科・精神療法・カウンセリング・薬物療法の倉岡クリニックがお送りする、心に響くメッセージブログです
159.筏のたとえ
むかしむかしある男が一人で旅をしていると、行く手に大きな
河があった。先へ進むためには河を渡らなければならない
が、あたりを見渡しても橋も架かっていないし、近くに渡し舟
も見当たらない。

困ってしまった男はどうしたものかと考え、ふと思いつくと
近くの雑木林に入って、手ごろな木を切り、蔦で木を結わ
えて筏を作り、それに乗って大きな河を向こう岸まで渡って
しまった。

向こう岸にたどり着いた男は考えた。筏とは便利なものだ。
これからもまた大きな河に出合い、同じような状況に遭遇
するかもしれない。

そう思った男は、その筏を背中に担いで旅を続けた。
 これは原始仏教経典のパーリ仏典の中にあるお話である。

この男の行動を皆さんはどう思われるだろう。 たしかに筏
を作って河を渡った男の行動には、なるほど賢い選択で
あったと納得できるが、その後も重い筏を担いで、旅を
続けることは如何なものか。

同じような状況にふたたび遭遇する可能性はゼロでは
ないが、確率はかなり低いのではないだろうか。

旅の目的地に到達できたとき、その後一度も同じ状況に
出くわさなかったとしたら、筏を背中に担いで運んできた
ことは徒労に帰してしまう。むしろその確率のほうが高い
し、さらに筏を運ぶ労力は大変なものであろう。
 
日常生活の中で、この旅の男と本質的に同じことをして
いる人は案外多いのではないだろうか。

バーゲンで気に入った服を手に入れて、一度は手を通し
たものの、あまり着るチャンスがなくクローゼットに吊る
されたままになっている服や、テレビショッピングでつい
つい販売員のセールストークにのせられて買ってしまった
健康器具も、試してはみたものの長続きせず、どんな汚れ
も落とす魔法の洗剤、お店で買えない化粧品や家電製品
など、購入してしばらくは使ってみたが、知らず知らずの
うちに使わなくなり、そのままになっているものが家の中に
あふれている。

確かにあれば便利なものでも使わなければ購入した意味
がない。いつかは使うだろうとおもってとってはあるが、
場所を占拠して日常生活の邪魔になっているものがある。
 
邪魔になって使わないものは捨ててしまえばいいのだが
捨てられない。もったいない。いつか使う時があるのでは
ないかと思いとっておく。

でもおそらく永遠に使う機会がない。 人には一度手に入
れたものはなかなか手放したくない心理がある。

他の人から見たら全然価値のないものでも、持主にとっ
てはとても価値があるものである。だから使わない、いら
ないと分かっていても捨てられない。

その物が持つ本来の機能は無くなっても、持主にとって
の思い入れという価値は残り続ける。だから捨てられない。

しかし、今使わないものは永遠に使わないものだと決心
することである。捨てた後になって、捨てなければ良かった
と思うことはあるだろう。でもそのときは、そのときに必要に
なったものを再び購入すればいいのである。
 
捨ててしまった事による経済的な損失より、いらないもの
をもち続けることによる、精神的な損失のほうがずっと大き
いのである。

動物の世界は弱肉強食である。食物連鎖のなかで、強い
ものが弱いものを捕獲して、それを餌さとして生きながら
える。しかし、食べ残した時、その餌さをとっておくことは
しないしできない。
 
多くの動物は餌さにありついたら、たらふく食べて身体に
栄養を貯めておく。次の餌が見つかるまで、お腹がすいて
も食べることはできないのだから。
 
これは生命の予後を考えると、極めて不安定で危険な
状態にあるといえる。
 
それでも、動物によっては進化の過程で、その危険性を
回避するすべを身につけているものもいる。

ねずみやリスの仲間には物や食べ物をとっておく習性が
ある。

これは哺乳類の進化の一つと考えられ、餌さを蓄えて
おくことができれば、餓死する危険性が少なくなるからで
ある。

しかしこの習性も適切さを欠いて、餌さを過剰に蓄える
ねずみが現れることがある。

そのようなねずみをよく観察していると、ストレスを多く
感じているねずみほどこの傾向が強くみられ、物や
食べ物を過剰に収集することが分かった。
 
人間も物が捨てられないで溜め込んでしまう人は多い
が、食べ物に限らず、物を収集することによる安心感が、
ストレスを解消してくれるのかもしれない。

そして物が捨てられない人は、当人にしか分からない、
いや、当人も気がついていない、多くのストレスを感じて
いるのかもしれない。

筏の話に戻るが、旅の男は仏の悟りを得るために修行
する者である。河のこちら側を迷いの世界を現す此岸
(しがん)、河を渡った向こう側の、悟りを開いた安らかな
世界を彼岸(ひがん)といい、筏を仏の教えにたとえてい
る。
 
筏に乗って彼岸に達したら、つまり悟りを開いたら、その
有難い仏の教えも必要がなくなる。

だからどんなに有難い教えでも、悟ってしまえばそれに
こだわるな、それをも捨ててしまえと教えているのである。
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